流れ変えた背番号11早藤達哉投手。
金光大阪210 120 003 001 10
倉敷工 100 301 013 002 11
敗色濃厚だった流れを変えたのは、「背番号11」だった。
九回、3点を奪われなおも二死一塁。制球に苦しむエース山崎を継ぎ、マウンドへ向かった。
「相手の勢いを絶てばチャンスはある。」
いきなり、安打を浴びたものの、追加点を与えず3点差で裏の攻撃へ繋げた。
流れは、自らのバットで引き寄せた。九回、無死一塁三塁。
甲子園での初打席。足の震えが止まらない。バットを、何度も振り「つなぐバッティング」と、書いた左手袋に目をやって、右打席に入った。
中山指揮官から、【決めて来い】と言われ1球目から思いっきり振った。
初球の内角ストレートを、叩きつけ、三遊間のど真ん中を抜き、レフト前ヒットで、1点を返した。この一打が、同点劇の、呼び水となり、試合は延長戦へ。息もつけない攻防が、始まった。
十回以後は、我慢の投球。十一回には、二死二塁三塁から、四球を出し、二死満塁のピンチを、次の打者を平凡なレフトフライでしのいだ。
十二回に、センター犠牲フライで、勝ち越されたが、1点差で、踏ん張った。
延長の3回で4安打2四球と走者を許したが、1失点。
劇的な幕切れをお膳立てしたのは、この『粘投』だった。
チームを救った右腕は、仲間の祝福の中ではにかんだ。
指揮官は言う。「早藤と、心中するつもりでした。」
三塁側倉工応援アルプススタンドを、盛り上げたのは、倉敷工吹奏楽部。
玉島商からの友情応援18人。倉工OB8人を加え、総勢40人に膨らんでいた。
テンポの良い、(サウスポー)等で盛り上げ、ほぼエンジ色一色のスタンドの中、赤と緑のメガホンが大きく揺れ、大歓声を響き渡らせチームを後押しし、激的なサヨナラ勝ちに、繋げたのだった。
次の、2回戦の相手は、中京大中京。実は前回34年前、昭和50年選抜の開幕試合で対戦し、倉敷工が16対15で勝利している。
次回、春風爽快25号でその時の試合を振り返ってみたい。(当、HP。カテゴリーの中、風雲の奇跡涙の甲子園を参照して下さい。)
9回裏倉敷工1死一、二塁7、山形が右翼線三塁打を放ち9-9の同点とする。
12回裏倉敷工2死一、三塁、日下の右前打で三走・三村が生還し11-10でサヨナラ勝ち
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」