〚道具類の不足〛
なかなか揃わなかったのが道具類。球児たちは焼け残りだけでは当然足りず、先輩から寄付を受けたり、ヤミ市で手に入れたり、進駐軍からお下がりを調達したのだった。
岡山一中(現 朝日高校)の選手だった河田は「ボールはとても貴重品で、何回縫い直したかわからない」と言う。
〚試合再開へ向けて〛
試合再開へ向け、最初ののろしを上げたのは野球部OBたちだった。関西中、岡山一商(現 岡山東商)、玉島商などの出身者が中心になって、岡山進駐軍とオール岡山との親善試合を計画した。しかし、この試合は都合で中止になってしまう。
その代わりに、3チームで10月23日、岡山一商球場でリーグ戦を実施する。(山陽新聞の前身、合同新聞主催)これが戦後最初の野球試合と言われている。
〚大観衆〛
〚野球ができる喜び〛
合同新聞によると「観衆は3,000人。久々の美技快打に熱狂し」とある。リーグ戦は岡山一商OBが優勝したが、選手そして観衆は、勝敗よりも野球ができる喜びに酔いしれたのだった。
玉島商OBの主将、大野仁之助は「みんな重いものから解放された感じで、本当に生き生きしていたねえ」と話す。
中等学校の方も、12月9日に岡山一中、岡山二中(現 操山高校)、岡山一商、市商(現 岡山東商)がトーナメントを実施した。
岡山野球界は復活へ向けて、確かな歩みを刻み始めていくことになる。
つづく
随時掲載
参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」
参考
毎日新聞
山陽新聞
協力
岡山県立倉敷工業高等学校
硬式野球部OB会
おいまつ会




