「 甲子園 3本のホームラン男 藤沢新六 倉敷工 」
昭和24年夏 倉敷工 が、甲子園初出場を果たした時の、正捕手。
この年の、第31回大会は、 倉敷工 高津 等、初出場が7校。
最多出場は、 慶応 が3年連続13回め。また、 平安 が、11回めの出場。
開会式の入場行進で、プラカードを女子生徒が担当する事が、開始された。
1回戦。対 熊谷( 埼玉 )戦、 9-1 と、一蹴り。この試合で、 藤沢 は
大会3号の、ホームラン1本めを記録する。【 1本めは、ランニングホームラン
だったんです。 】と藤沢。2回戦。対 高津( 大阪 )戦 5ー3 で勝利。
8月17日、迎えた準々決勝。相手は 中京商 以来の3連覇を目指す
小倉北。春夏通算16勝を挙げた好投手 福島一雄投手 を擁し、洗練
された野球をするチーム。知名度は、雲泥の差。【 一生懸命やるしかないなあ。
そんな、気持ちが強かったです。 】と、藤沢はいう。この試合で、二回と六回の
藤沢の、大会7、8号ホームランをはじめ、長打で追いすがる 倉敷工 は、
延長10回、一死満塁から、 横山 の遊ゴロの間に決勝点を挙げ熱戦に
終止符を打った。【 2本とも、左中間でした。思い切り振っただけでしたが、
なぜか、よく飛んで行きました。二回のホームランは、審判に言われて気が
ついたんです。 】と、無欲の勝利を強調する。8月18日付、山陽新聞に
「 倉工殊勲の健棒 」「 小倉の三連覇を阻む 」「 藤沢ホーマー三本 」
「 甲子園大会に新記録 」と出た。藤沢の、通算3本塁打。60年の PL
学園清原 に破られるまで、大会記録を保持していた 藤沢。県大会では
さく越え等打った事のない、五番打者。夏の甲子園大会、3本ホームランは
木製バット使用としては、通算最高記録である。準決勝、対 岐阜 戦は
2 - 5で敗れたが、 妹尾求 が大会9号本塁打を記録。 倉敷工 は
甲子園で、4本の本塁打を記録した事になる。こうして、 スラッガー藤沢 は
小沢 と共に、阪神タイガースに入団して、プロの道へと歩む事になる。
つづく 随時掲載
お願い 本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考 瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」
OHK 「 旋風よ ふたたび 」
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 小山 稔氏