「 倉工野球部を作った男 小沢 馨 」
大いなる期待を背に 小沢 馨 は、大群衆に約束した通り母校、倉敷工野球部監督に就任する。
20才の時だった。伝統は、ここから始まる。バッテリーを組んでいた捕手、藤沢新六 は次の様に語る。
「 小沢は、野球に対して、すごく、研究熱心なところがありましてね。」
その研究熱心さが早くも結実した。昭和32年、第29回選抜に初出場を果たす。
この時は、左右の両エースを前面に打ち出したチーム。小沢監督、甲子園デビュー。
昭和24年夏、三連覇を狙う 小倉北 を破り、旋風を起こした倉敷工。
甲子園は 小さな大投手の出現に沸いた。あの時の小さな大投手が、今度は母校の監督として
甲子園に凱旋。多くの高校野球ファンは感動した事だろう。
第29回選抜高校野球大会
1回戦 倉敷工 2-1 市沼澤
2回の 2点を守り切る。
2年生、左腕、渡辺が5つの三振を奪う。
2回戦 倉敷工 2-0 育英
5回と8回に1点づつ得点。
3年生 右腕 小野が2安打 完封。
準々決勝 倉敷工 4-0 高松商
4回に1点、7回に3点を上げ、勝負を決める。
倉工14安打。渡辺7安打 完封。
準決勝 倉敷工 1-3 高知商
2回が終わって、3点の失点がひびく。
小野から渡辺へ投手リレー。
小沢監督、甲子園初采配で ベスト4に導く。
小沢監督が賞賛に包まれている頃、東京教育大(現 筑波大) を卒業して
郷里、岡山へ帰る準備に追われていた一人の学生がいた。
名前を 向井 正剛 という。
つづく 随時掲載
お願い 本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考 瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」
OHK 「 旋風よ ふたたび 」
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 小山 稔氏