第78回全国高校野球選手権大会 10年ぶり8回目の 甲子園出場。
歓喜に湧く、3塁側倉工応援スタンド。その中から、和泉コールが湧き起こった。
「 和泉 和泉 和泉 」。すると、ベンチから、苦労人指揮官が、現れた。そして、ゆっくりと 倉工応援スタンド の方に歩いて来た。
止まった。スタンドを見上げた。帽子を取った。そして、深々と頭を下げた。どのくらい、下げ続けたのかは、わからない。和泉コールは、さらに大きくなった。応援団員は、スタンドの最前列に、何人も何人も集まった。
【 ようやった 】【 おめでとう 】そして【 ありがとう 】の声。苦労人指揮官は、ゆっくりとベンチに帰って行った。そして、ベンチ裏で苦労人指揮官は、大号泣した。
県高野連発足50周年を期に、大会優勝旗が新調された。その新しい優勝旗 が、 北條 剛主将 に、渡った。スタンドから「 やったあ 」の声。古豪復活の瞬間。「 気持ちがいいです。昔から歴史があるんで、より一層いいものにして、行きたいです。 」と、コメント。
一方、 エース中原 俊博投手 は、「 緊張して、中盤まで向こうに、押されてたんですけど、後半精神面でしっかりしていかないといけないと、思ったんで、踏ん張る事が出来ました。 」
大会優勝旗を、手にした 倉工ナイン は、 苦労人指揮官 和泉利典監督 を、何度も何度も、胴上げした。午後6時、倉工ナインが凱旋した。すると、一人のOBが、ナインの帰りを、待っていた。 藤田 昌人OB だった。黒板に、次の様に書いて、待っていた。『 本日は、優勝おめでとう。全国優勝目指して頑張って下さい。 』 北條 剛主将 は、「 これからの、僕らを見ていて下さい。 」と、力強く語った。甲子園が、決まった次の日から、学校も忙しくなった。待ちに待った、甲子園出場。OBの喜びもひとしお。 羽場 武治教頭 は 「 たくさんの、OBの期待があったんです。県外、外国へも大勢の先輩を送っていまして。ひっきりなしに、電話がかかってくるんです。嬉しい悲鳴です。 」
ところが、「 新しい優勝旗だったんですが、これがまた大変だったんです。 」と、 中山隆幸部長 は言う。何が、あったのだろうか。
まさに、 平成8年の夏 は、長い。
つづく 随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸 氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正 氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」