甲子園で、数々のドラマを演出して来た倉敷工。当HPでは、そのドラマを連載として出して来た。まず、第1弾は対報徳学園戦。無得点で迎えた延長十一回、倉敷工が6点を奪い勝負は、決まったと思われた。ところがその裏、報徳が猛反撃で追いつき同点に。そして延長十二回に決勝点を奪う大逆転劇を演じた。延長十一回2死で、投手永山から、エース森脇に、交代したのが敗因と、言われた。しかし、県大会直前の練習中に、大怪我をした、森脇に、甲子園で、投げさせてやろうというナインの思いが、地区予選突破の、原動力だった。「負けたけど、あれでよかった。」と、永山は言う。
その、友情物語を描いたのが、『昭和36年のドラマ』。敗者の美しさが、そこにある。第二弾は、昭和42、43年の春夏と、4連続甲子園出場した時の立役者で、エース小山稔を、主人公とした『青春ヒーロープレイバック』。
「昭和43年夏の準決勝。対静岡商戦の朝、歯を磨こうと思っても、手が上げられない状態。勝ち負けより、投げられるかが、心配でした。しかし、自分の力を出し切って悔いは、ありません。」と、小山。母に誓ったプロ野球選手。
少年の日の夢。小山稔の、3年間の完全燃焼物語である。第三弾は、監督として全国に名を馳せた小沢馨の、選手時代から、小沢監督最後の、甲子園を描いたのが、『風雲の奇跡』。
この『風雲の奇跡』は、三部構成とした。その一部は、倉敷工が、甲子園初出場した時の物語で、『風雲の奇跡初陣倉敷工』。二部は、一部に登場した人物をより具体的に表したのが『風雲の奇跡よみがえれヒーロー』そして、三部は、甲子園最後となった監督小沢馨の『風雲の奇跡涙の甲子園』。名監督小沢馨の、選手時代から、監督最後までの物語である。第四弾は、10年ぶり8回めの「夏」を決めた物語『捲土重来』。
この『捲土重来』も、二部構成とした。その一部は、復活に燃える倉工ナインを描いたのが、『捲土重来平成8年の夏』。二部では、その甲子園出場までの道のりを描いたのが『捲土重来復活への道』。倉工野球の意気と誇りと、苦闘の日々の団結が、そこに見える。
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当HPは、夏の甲子園を主に描いて来たが、今度は、春の選抜甲子園に、目を向ける事にした。大銀傘が、架け替えるなど、リニューアル工事で生まれ替わった阪神甲子園球場に、32校が集う(第81回選抜高校野球大会)に、スポットを当てる。2009年(平成21年)、倉工校長室に、待ちに待った春の便りが、やって来た。「謹んでお受けします。頑張ります。」緊張気味に、電話を、取った福田憲治校長は、すぐに表情を緩ませた。そして、福田校長は、その吉報を、グランドで待つ倉工ナインに、快挙を報告した。
「感謝の気持ちを、忘れず粘りの倉工野球を甲子園でも見せてほしい。」と、激励。各ナインは、何度もガッツポーズを繰り返し、帽子を空高く投げ上げて喜びを爆発させた。実に、選抜出場は、34年ぶりの出場。この年の、開会式の入場行進曲は、【キセキ】だった。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きますことを、ご了承下さい。
参考
山陽新聞社
毎日新聞社
協力
神土秀樹氏(前倉敷工業高校野球部コーチ)
中山隆幸氏(前倉敷工業高校野球部部長監督)