春風爽快 キセキの春 5

「すまんなあ。本当は、もっと強くして渡さんといけんのに。」倉敷工監督で、今季(2008年)から、総監督に就任した和泉利典が、新監督の中山隆幸に、語りかけたのだった。秋の新チーム(2008年)の、2年生は岡山県一年生大会で、県内でも全く実績のないチームに、一回戦で敗れるという屈辱を、味わっていた。この一年生大会は、優秀校になった場合、甲子園に出場するケースが多い事で知られている。平成8年の倉敷工は、その一年生大会で優秀校に輝いていて、見事に夏の甲子園に出場している。(当HP、捲土重来平成8年の夏を参照して下さい)
ある日、当HPが、倉工グランドに立ち寄って、秋の新チーム(2008年)の状態を見た。選手の身体が小さい事に、驚くと共に打撃力のなさに、気づいた。打球が、遠くに飛んでいない。中山が、ノックを始めた。失策も多い。『打てない』『守れない』という、状態だった。

こうした中、一人の選手に注目が集まった。キッパリとした、物言いと、強いリーダーシップで、チームをまとめようと、必死さが伝わってくる選手。主将で、捕手の頼宏樹だった。その頼が、ある選手に、キッパリとものを言い指示をした。するとそこにいたOBが、「ナイスアドバイスじゃ。」頼は、グランド内外で、チームを牽引。バットコントロールも良く、指揮官が、一番打者として、切り込み隊長に指名。また、野球を良く知っている。指揮官が、最も信頼を寄せる選手でもある。

夏の、岡山県大会一回戦。倉敷工は、おかやま山陽に、10対11でサヨナラ負けを喫す。強敵とはいえ、まさかの初戦敗退。屈辱的な、敗戦は新チームにも、暗い影を落とした。しかし、不安と危機感が増す一方で、少しづつ選手の意識が、変わり始める。【自分たちは、力がない。開き直ってやるしかない。】弱いと自覚しているからこそ、懸命に練習して行く倉工ナイン。何度も、ノックを受け、バットを振り込み、9月の西部地区予選、10月の県大会に備えた。当HPは、今日も倉工グランドに、立ち寄ってみたが、主将頼宏樹の、あごは汗が、いや、倉工選手全員から、したたり落ちていた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」