(2008年)秋季中国地区大会
倉敷工4-1宇部鴻城
準々決勝倉敷工12-5作陽(7回コールド)
準決勝倉敷工2-1鳥取城北(延長12回)
決勝倉敷工4-1南陽工
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
これは、プロ野球故野村克也氏が、好んで使っていた言葉である。
古くは、江戸時代の剣術の達人松浦静山の、剣術書【剣談】から引用した言葉である。
倉敷工は、見事中国王者に昇りつめた。新チーム発足時では「打てない」「守れない」の状態であり、県大会出場すら危ぶまれていた。それが、中国地区で優勝するとは、誰が予想しただろうか。
今回の、倉敷工の、秋の中国地区優勝は、3回目である。
初優勝は、昭和38年岡山県営球場で行われ、決勝で尾道商に、7対6で、勝利。メンバーの中に菱川章がいた。菱川は一年の夏から、外野の控えで甲子園に出場。昭和39年春の選抜甲子園で、選手宣誓を行った。倉工を中退して、中日ドラゴンズに入団。長打力を買われ、ジュニアオールスターに出場する等活躍した。
2回目の優勝は、昭和46年宇部市野球場で行われ決勝で鳥取工に、6対5で勝利。この時の優勝投手は、山本次祥。
エース山本は、苫田群加茂町の実家から、監督の小沢に憧れ倉工の門を叩いた逸材。当時の、倉敷工投手コーチ小山稔は『山本は、身長168センチの小柄でしたが、全てが良かったですね。キレ伸びのある、ストレートに大きく鋭く曲がるカーブがあって。私が指導した投手で、兼光(昭和50年)も良かったですが、ナンバー1の投手でしょう。選抜では、東北に負けてベスト8でした。』
今回(3回目)優勝したことで、中国地区代表で明治神宮大会への出場権を獲得。そして、来春の選抜甲子園が決定的となった。
優勝インタビューで、【明治神宮野球大会出場おめでとうございます。】と、アナウンサーが言うと、【はい。ありがとうございます。】と、涙を必死でこらえる監督中山隆幸。さて、この4試合倉工ナインは、どの様な戦い方を見せたのだろうか。そして、試合終了後名監督小沢馨でも、経験した事もない大きな感動が待ち受けていた。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督