新型コロナウイルスの影響で、中止となった全国高校野球選手権岡山大会。
その代替大会、夏季岡山県高校野球大会の組み合わせ抽選会に合わせ、日本高野連の表彰伝達があり、前倉敷工監督の中山隆幸氏に「育成功労賞」が贈られた。
東岡山工、笠岡工、倉敷工、そして現在の岡山工の4校で野球部の指導者として35年。長年、高校野球の発展に尽力した指導者に贈られるのが、この『育成功労賞』である。
ウエイトトレーニングやメンタルトレーニングを先駆的に採り入れた一方、理想とするのは、『最後まで諦めない野球』である。『ええぞ』『振り切れよ』部員に熱く、盛んに声をかける。消極的なプレーには、雷を落とすが、思い切りの良い、ひたむきなプレーは、とことん褒める。倉工在学時、理不尽なしきたりもあった。入学時80人いた同期の部員は、最後には、14人に。【指導者になり一所懸命の頑張りを、認めよう。】倉工在学時、指導者になる事を誓った。
東岡山工から、1984年に笠岡工に赴任。笠岡工は、全く実績のないチーム。コールド負けも、珍しくなかった。中山氏は、他校と同じ練習をしては勝てないと、ウエイトトレーニングを導入。手作りの、器械だった。当時としては、まだ珍しかった。すると、スイングスピードが早まり、遠投も伸びた。そして、6年目倉敷工を破って、県大会ベスト8入りを果たす。手応えを感じた。そして、1994年(平成6年)母校倉敷工へ。母校で、甲子園の土を3度踏んだ。今も語り継がれるのが、倉敷工を34年ぶりに選抜に導いた2009年春。
「当HP(春風爽快キセキの春)を、参照して下さい。」
「倉工が、甲子園に、出場したチームの中では、一番弱いチームです。」と、中山氏。モットーである『プレーは大胆に』と『フルスイング』で、力を伸ばし、【諦めない野球】で、中国地区大会を勝ち上がった。金光大阪との開幕試合。「緊張感を力に替えろ」と、ナインの背中を押し続けた。4度もリードされながらも、追いつき、延長12回サヨナラの11対10で、ついに勝利をつかんだ。サヨナラ打を打った選手は、入学時チームの中で一番線が細かった。
「まだ、できる。」と、声をかけ続けた結果、精神的なもろさを克服。ウエイトトレーニングで鍛えた筋力を生かし、勝負強い選手に成長。勝負を決めたフルスイングに彼の成長を感じて、胸が詰まったという。【勝ち負けも大事だが、人間育成こそが野球の、目的。】と、中山隆幸氏。最後の夏を迎える選手に、そう伝えたい。
(6月29日、朝日新聞の中の記事を参考にして、一部を活用しました。)