2009年(平成21年)1月23日
この日は、3月21日から阪神甲子園球場で開かれる第81回選抜高校野球大会の、選考委員会があり、出場32校が決まる日だった。
私、当HPは、午前中で仕事を切り上げ、会社の弁当もそこそこに倉工第2グランドに向かったのだった。倉工に、車を置き第2グランドへ。
まだ、午後1時ごろだった。誰もいないと思っていた。ところが、第2グランドに着くと、すでに多くの報道陣がいた事に驚いた。【もう、この時間にこんなに多くの報道陣がいるのかと。】そうしていたら、若い女性が近寄って来た。
「倉工の関係者の方ですか。」
私は、「はい。関係者と言えば関係者でしょうか。」すると、その女性は、「これから、倉工の事を、色々と教えてくれませんか。」【倉工と呼んでくれる事が嬉しかった。】と聞かれたので「はい。いいですよ。もし、わからなかったら学校に問い合わせもできますから。」と答えた。
すると、その女性は名刺を取り出そうとしたので、私も名刺を用意した。「毎日新聞の坂根と、申します。」【えっ毎日新聞】私は、直立不動になってしまった。帽子を取って「お世話になります。どうぞ、よろしくお願いします。」と深々と頭を下げた。【何だか、倉工を代表して、毎日新聞に挨拶をしている感じになった。】
春の選抜は毎日新聞が、夏の甲子園は朝日新聞が主催である。坂根真理記者は、次から次へと質問をして来た。
「倉工って、会社企業から見てどんな学校ですか。」ドキっとしたが、私は次の様に答えた。
「倉敷市の南には、工業地帯水島コンビナートがありますが倉工の卒業生の約7割はその水島の企業に就職していまして深刻な不況でも即戦力として期待され卒業生の働きぶりが企業と学校の信頼関係を強めていると思いますね。一言で言えばアイドルでしょうか。」
すると「アイドルですか。」「私の職場にも、倉工の卒業生がいますが卒業生でないのに(倉工甲子園じゃなあ。)とか(倉工は、今年はどんなんかなあ)あるいは(この前倉工が、新聞テレビに出ていましたよ。)とよく言われるんです。これからも地元に愛され応援してくれるアイドルの様な存在であってほしいと願っています。」メモを取る坂根真理記者。質問は、さらに続いた。
「倉工の生徒さんがよく行くお店ってありますか。」
「はい。又一というラーメン店があります。そこの、大将は大の倉工ファンですしね。」
「それでは、明日、私をそこに連れて行ってくれませんか。」
こうして、話をしていて後ろを振り返ってみたら、いつの間にかユニホームを着た選手や監督中山隆幸そして保護者らが集まっていた。
報道陣、保護者らを合わせると、約100人近い人数であったであろうか。
そして、午後3時40分倉工から、第2グランドに、第一報が入った。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承ください。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」