春風爽快 キセキの春 21

「甲子園は懐かしく野球の自分のふるさと。そして甲子園という言葉には、常に新しさを感じる。」
この言葉は選抜優勝投手 早稲田実業 王貞治氏の言葉である。どんな時でも、勇気と希望をくれるところ。それが甲子園。

(2009年)3月21日。真っ青の、甲子園は開会式を迎えていた。
宮野部長、中山監督、そして神土コーチは、三塁側ベンチに早くから入っていた。
平成の大改修を行い、生まれ変わった阪神甲子園球場。
どこが、変わったのか。
1、銀傘が40メートルずつ広げられ、高さは5メートル高くなった。
2、250メートルのライナービジョンという電光掲示板が取り付けられた。
3、アルプス席は、全体で4メートル前に出た。
4、照明スタンドを球場の外に設置して、9メートル高くなり、明るさも増した。
こうした甲子園球場を、4万3,000人の大観衆が見守っていた。
一部、新聞報道では、約50,000人という報道さえある。

「ベンチから倉工応援スタンドを見たんですが、とにかくものすごい人で空席は全くなくて、一番高い所では、立って見ている人もいて。」と中山監督。
一方、試合前のシートノックをする神土コーチは「よう、ここまで来れたなあっていう感激が一番ですね。それにベンチから開会式が見られるんですから。」
三塁側、倉工応援アルプススタンドには、【必勝岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部。】さらには、【燃やせ闘魂 倉工球児】の横断幕が見える。
こうして迎えた開会式だった。ところが、直前三塁側ベンチ前に大勢の女子高校生が入場して来た。西宮市高等学校吹奏楽連盟と神戸山手女子高校である。
「せっかく、ベンチから見えると思っていたのに。女子生徒で、全く見えないようになってしまいましてね。そりゃ、スタンドから見る方がよっぽどいいですよ。」と神土コーチ。
真っ青な大空。紺碧の空。午前9時大観衆が見守る甲子園球場にファンファーレが鳴り響いた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」