2003年(平成15年)7月29日
第85回全国高校野球選手権岡山大会決勝。
決勝の朝。倉工ナインは、早くから倉工第2グランドに集合していた。また、多くの報道陣も集まっていた。
一連の練習の後、主将の須田洋光がナインを集合させた。「今日は、決勝だけどいつも通りで行こう。自分に勝つという事だけ考えて。あとは、挑戦者。自分ができる事をしっかりやって、笑顔でしっかり楽しく、野球をやろう。」と訴えた。バックネット裏には、OBで甲子園97イニングを、一人で投げ抜いた小山稔氏も駆けつけていた。
小山氏は、RSK山陽放送での、高校野球解説者として活躍していた。「決勝に上がってくるチームは、それなりに力があるから。先取点を取った方が有利ですね。」
一方、部室では、マネージャーの一宮周平が、氷をたくさん入れたクーラーボックスに栄養剤を詰めていた。
一宮は、「とにかくチームがベストの状態にして行きたいです。」と裏方に徹していた。
和泉利典監督は、バッティングマシンを低めに調整した。
ボールが、ホームベースに当たるようにセット。決勝の相手倉敷高校尾崎投手の低めへのボールを見極めるためであろう。
各打者は、打席に立って、バットを振らず、ボールを最後まで見る訓練をしたのだった。
元、倉敷工監督の小沢馨氏は次の様に述べた。
「投手はいい。守りもしっかりしている。特に、左打者が非常に勝負強い選手が揃っている。投攻守が揃っているチームは、そう作れません。いいチームを作っています。」
10時30分。倉工ナインを乗せたバスは、倉敷マスカット球場へ向かったのだった。7年ぶり9度めの甲子園を目指して。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」