第85回全国高校野球選手権岡山大会を制した倉敷工7年ぶり9回めの甲子園出場。
決勝戦が終わった時の事。倉敷高校の選手が、倉工ベンチに、千羽鶴を持って来た。「これを、甲子園に持って行って下さい。甲子園でも頑張ってな。」
そう言われた主将の須田は、「ありがとう。甲子園でも頑張るから。ありがとな。」両校はお互いの、健闘を称えあったのだった。
倉敷マスカット球場の外では、家族や仲間たちが、喜びを分かち合った。そこに、通用門からOB藤原勝利コーチが、優勝旗を持って出て来た。すると、一斉に歓声が上がり拍手が湧き起こった。そして、記念の写真を撮り合った。和泉利典監督は、「いやあ、みんなで苦労して来ましたからね。」中山隆幸部長は、「感無量です。勝った瞬間和泉監督に抱き着いちゃって。」と話した。
午後6時ごろ、倉工ナインのバスが優勝旗と共に凱旋。
たくさんの人々が待っていた。歓声と拍手。早速、主将の須田が沖島弘光校長に優勝旗を渡した。すると、さらに大きく高い歓声と拍手。目に涙を浮かべた女性教師は、「7年前甲子園に行ったんですけど、また今回も行けると思うと喜びで嬉しいです。」
また、ある保護者は「応援して下さる皆さんのおかげです。」
その夜、後援会を立ち上げた。沖島校長が「しっかりした応援体制を組んで行きたい。」と挨拶。そして、津山工ラグビー部監督として花園に14回出場した名将芦田潤治教頭が、脇を固める。
和泉監督は、今まで苦しかった思いをかみしめた。「余韻に浸る暇はないんです。準備周到して来て、目標を持って努力し達成できた事が嬉しいです。」
その後、倉工ナインは、倉敷市営球場で強化練習を行った。
「そんなぬるい事をしていたら甲子園で勝てるか。」
和泉監督の大声がグランドに響いた。
こうした中、倉工野球部OB会には大問題が発生していた。
「OB会も崩壊していたでしょうね。」と和泉監督。
一体何があったのだろうか。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」