当HPは、第85回夏の甲子園に出場した倉敷工の足跡をもう一度検証してみる事にする。
『岡山大会決勝』
7年ぶり信じていた。観客総立ち雨と涙の大歓喜。
「やったあ」「甲子園だあ」倉敷工の7年ぶりの甲子園が決まると、雨と涙でずぶぬれになった観客席の部員や保護者、OBら約300人は、赤青緑等の色とりどりのメガホンを、打ち鳴らしたり抱き合ったりして大歓声を上げた。
倉敷高ペースで進んだ序盤は、激しい雨に見舞われたが、生徒、保護者、OBらは3年生部員の石本勝志、松本眞澄の叩く太鼓や吹奏楽の演奏に合わせ、横移動する独特の応援で盛り上げた。
石本は、「選手を信じて魂のこもった応援をするだけです。」
3対5で迎えた六回表。畳みかける様な攻撃で、7点を奪取すると大声援がさらに一気に大きくなった。八、九回には倉工応援スタンドの全員が総立ちで、「レッツゴー陶山」の大コール。最後の打者を三振に打ち取ると、応援スタンドの全員の目が潤んだのだった。(朝日新聞、平成15年7月30日付けを参考に、一部を引用。)
『甲子園一回戦再試合』
よみがえった倉敷工。応援団喜び爆発。
倉 敷 工 012 101 000 5
駒大苫小牧 002 000 000 2
痛みこらえて、気持ち伝える。太鼓をたたき続けた。
倉工野球部応援団長石本勝志
「レッツゴー陶山。」一際大きな声が音頭を取った。身体ごとぶつける様な勢いで、叩かれる太鼓。地面が揺れた。スタンドが一つになった。ノーゲームになった前日の試合。「応援じゃあ完全に負けている。」台風の影響による、西日本を襲った大雨でブラスバンドも太鼓も甲子園にたどり着けなかった。序盤からの劣勢に、スタンドの座席に座り込んだ。「絶対に逆転します。」
そう言いながら、涙が止まらなかった。石本涙の甲子園。
部員として、練習試合に出る事もあったが、岡山大会前の六月。
応援団長になる事を指揮官に伝えた。何よりもチームが好きだった。この日は、曇り空だったが、太鼓があった。マメができても平気なように手袋をつけ、時々バチを持つ手を変えた。
だが五回には、肘と肩と手首が痛くなり、テーピングをして降り出した雨の中【気合い】で太鼓を叩き続けた。
会心の勝利にようやく見えた晴れ間の下、帽子を脱いで汗をぬぐった石本勝志だった。
(朝日新聞、平成15年8月10日付けを参考に一部を引用)
大甲子園に、球場アナウンスが轟く『岡山県代表倉敷工業高等学校応援団団長石本くん』
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」