当、HPは第85回夏の甲子園に出場した倉敷工の足跡をもう一度検証してみることにする。
大甲子園球場。三塁側倉工応援アルプススタンド最上部で、仁王立ちする男がいた。頭には、倉工応援団の鉢巻き。倉工学生服に身を包み、視線の先は、常にグランドに。いや、視線の先は倉工ナインに向けられている。
手には、伝統の応援団旗を持ち倉工ナインを鼓舞。しかも、素足のまま。
この、仁王立ちの男こそ、倉工応援団旗手古米竜士。
台風10号の影響で、強い風が吹く中、アルプス席の最上部で伝統の団旗を持ち続けた。台風10号の影響の突風で、掲げた応援団旗のポール部分が曲がってしまうアクシデントが発生。それでも、ポールを短くして団旗への風の負担を軽くして掲げ続けた。古米は、岡山大会からずっと団旗の担当。ダンベルで鍛えた両腕で、風をまともに受ける団旗をしっかりと支え続けたのだった。「今までで、一番重いです。」と古米。
何度もよろけそうになったが、球場最上段に設置されている看板に身体を押しつけて、必死に持ちこたえた古米。「風がきつくて大変だけど、選手も同じ条件。気合いを入れて踏ん張り、しっかりと持ちます。」と古米。
ノーゲームになった前日の試合は、高速道路の停滞などで駆け付けることができなかったが、「甲子園で応援する夢がかなってうれしいです。」と満足そうに話した古米竜士だった。
大甲子園に、球場アナウンスが轟く『岡山県代表倉敷工業高等学校旗手古米くん』
山陽子ども新聞の子ども記者5人が、倉工ナインを取材した。その中岡山市南輝小学校五年松岡優太君の記事を紹介します。
【応援団かっこいい】
ぼくは、倉敷工業高校応援団長の藤田真司さんにインタビューした。
取材するのは、初めてで応援する人がたくさんいて圧倒されたからドキドキした。応援団の団員は14人。「どうして、応援団になろうかと思ったのか。」と聞くと「かっこいいから」と答えてくれた。
大きな声で、全員心を一つにして、頑張っている姿を見て感動した。
応援する時は、「野球部とブラスバンド部の人と息を合わせることと、旗を正確に振る事に気を付けている。」と教えてくれた。応援団が持っている旗は、とても重そうに思えたが、応援団の人はしっかりと持っていたので、すごいなあと思った。練習は、六月中旬から本格的にしていたそうだ。毎日の練習の成果が出ていて、野球部、ブラスバンド部と良く合っていたと思う。ぼくも、将来応援団に応援してもらえるような野球選手になりたい。
(本文、ひらがなを漢字に変えています。)
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」