大願成就 85熱闘甲子園の奇跡 31

当、HPは第85回夏の甲子園に出場した倉敷工の足跡をもう一度検証してみることにする。

【倉敷工8強届かず】

3回戦
倉敷工 000 000 000 0
光星学院100 010 000 2

倉敷工は、3回戦で光星学院(青森)に0対2で惜しくも敗れた。
エース陶山は、無四死球で力投したものの、相手投手の緩急をつけた巧みな投球に打線が、散発4安打と抑え込まれ、三塁を踏む事も出来なかった。
和泉利典監督は、「とにかく打てなかったですねえ。」
一方、中山隆幸部長は、「とにかく、打てそうで打てなかったんです。」とコメントした。

【最後まで逆転信じ】

三塁側倉工アルプススタンドを埋めた3千人の大応援団も戦っていた。
グランドの選手と一体となって、この試合も最後まで逆転を信じ大声援を送り続けた。先制点を許す苦しい展開を変えたいと倉工野球部3年石本勝志が、汗びっしょりになりながら大太鼓を打ち鳴らし続けた。
石本は、降雨ノーゲームになった駒大苫小牧との試合で、大雨による通行止めで、応援団が試合に間に合わず、8点差をつけられた段階で「もう、ダメかもしれない。」と、不覚にも泣き出してしまった。しかし、石本は諦めず、再試合で勝利した選手たちを見て「選手と一緒に戦っているという気持ちが足りなかった。」と気が付いたのだった。
石本は、「もう応援の手は止めない。」と心に誓ったのであった。

【応援団選手に心からありがとう】

逆転を信じる倉工スタンド。九回一二塁に走者を送ると総立ちになった。
最後の打者が、併殺に倒れると「ああー」という大きな悲鳴とため息が漏れたが、やがて大きな拍手に変わった。涙ぐむ人もいたが、多くは優しい笑顔でスタンド前に一礼する選手たちを迎えた。
「ありがとう」
「よく、やったあ」
慰労や感謝の言葉が次々とかけられた。
三塁コーチャー、そして伝令としてチームを支え、8回に代打で出た赤沢亮平の母親は「甲子園で打席に立つなんて緊張したでしょうね。今まで頑張ってきたから。」
また、応援団長西洋祐は、駐車場で涙が止まらなかった。
「ぼくらは、甲子園で応援できる幸せを貰った。選手たちには、心からありがとうと言いたい。」と話した。

―お知らせー

次回、32号で、山陽新聞に載った倉工野球部の活躍を讃える記事を紹介して『大願成就』を最終回とします。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」