「私は、報徳との試合については、10年間誰にも言わずにいたんです。それで、10年経ってから話すことになったんです。」
「えつ。そうなんですか。」
「そうです。10年してから、実はこういう事だったんですと。」
「そうだったんですね。でも、いい話ですね。」
「松本は、森脇に怪我をさせてしまったと思い。その松本には、本当に大きな負担を掛けさせてしまいました。」
この話のやり取りは、小沢氏と私(筆者)との二人だけの対談の一部である。
小沢氏は、倉工監督を勇退してからは、公演会に呼ばれる事が多かった。
その公演会の中で、最後の方に報徳との試合について話を持ち出す事にしていた。報徳との試合について話を切り出すと、いつも場内は「シーン」と静まり返ったという。
ある日の、公演会の事。
いつものように、公演を終えて、小沢氏は車に乗りかけ帰ろうとしていた。
その時、一人の老人が追いかけて来た。「小沢さん、小沢さん。ちょっと待って下さい。」その老人は、小沢氏に、語り掛けた。
「ワシは、今まで小沢さんをボロくそに言ってました。あそこで、森脇に替えるから、倉工が負けたんじゃと。今日の、小沢さんの公演を聞いて、初めてわかりました。そうだったんですね。いい話をありがとうございました。」
そう言うと、その老人は、深々と頭を下げたという。その老人とは誰か。
東中国大会決勝で戦った岡山東商岡本成機投手の実父だったのである。
小沢氏は、公演会の最後にいつも次の様な言葉を残して会場を後にしていた。
『鎌田の思いも。松本の思いも。槌田の思いも。結果の全ては、監督だった全て私の責任であって、彼らは、野球人として高校野球の選手として、最高の野球を見せてくれたと今でも信じています。』
自分の、采配ミスを謝る小沢に選手たちは、「ありがとうございました。」と感謝の言葉を返したという。名勝負を飾るにふさわしい、友情ドラマ。
しかし、それ以上に、勝負の世界は非情だった。
倉敷工業 対 報徳学園。
この【試合】【物語】は、永遠に、語り継がれて行く事だろう。
終わり
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
本物語(実話)の詳細は、当HP、トップページのカテゴリー(画面右下)の中、『昭和36年のドラマ』を参照して下さい。
参考
山陽新聞社「灼熱の記憶」
ベースボールマガジン社「不滅の名勝負3」
瀬戸内海放送番組「夢フィールド」
OHK番組「旋風よふたたび」
注】現在、販売放送はありません。
協力
和泉利典氏(元倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸氏(元倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校同窓会おいまつ会