熱闘甲子園 今昔物語 87 栄光の足跡 75

第94回選抜高校野球大会

【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【初の大舞台へ 吹奏楽部】
第94回選抜高校野球大会は18日に開幕する。13年ぶりに出場する倉工の選手たちを音楽で応援しようと、倉工吹奏楽部がコロナ禍の中、急ピッチで猛練習を重ねていた。

甲子園での演奏に向けて急ピッチで、猛練習する倉工吹奏楽部。

【コンクール・イベントが中止延期】
球児たちの熱戦をアルプススタンドから盛り上げるブラスバンドの演奏。選抜では、コロナの影響で演奏できない状態が続いていたが、今年3年ぶりにブラスバンドによる応援が可能になった。

コロナは吹奏楽部の活動自体にも影響を与えていた。予定されていたコンサートやイベントが何度も中止や延期になり、対外的には「何もやっていない」と、2年生の浅野勇輝部長はため息をつく。

浅野美帆顧問は「部員たちは入学した時からコロナの時代。本番の経験が少なく、満足に活動できていない」と話す。クラスターもあり、部活動は休止になった。

【急ピッチで練習を重ねる】
練習が再開できたのは3月4日からだった。放課後や休日に約3時間の猛練習を重ね、「サウスポー」や「アフリカン・シンフォニー」など18曲を練習した。

倉工吹奏楽部には11人しかおらず、演奏には不安があったという。だが、今春卒業した3年生と、浅野顧問が教鞭をとる玉島商吹奏楽部が「助っ人・友情応援」として参加してくれることに。初戦では約30人での演奏となった。

浅野顧問は「野球部のおかげで、演奏できる機会ができた」と喜ぶ。吹奏楽部にとっても、甲子園は初の大舞台になる。

つづく(随時掲載)

参考
山陽新聞
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」

協力
歴代倉工野球部監督・部長
おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 86 栄光の足跡 74

第94回選抜高校野球大会

【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

『選抜組み合わせ決定』

第94回選抜高校野球の組み合わせ抽選会が、(4日)オンラインで開催され、出場32校の一回戦の対戦カードが決まった。

オンラインで、抽選会に臨む
福島貫太主将。

13年ぶり11度目出場の倉敷工は第一日第2試合で、昨秋の近畿大会準優勝校・和歌山東との対戦となった。
また、選手宣誓は抽選で、倉敷工の福島貫太主将が務めることになった。

『攻めて 攻めて 攻めたぎる』
『古豪復活への準備』

夏を含め、13年ぶりの聖地に立つ倉敷工の相手は、強豪ぞろいの近畿大会準優勝校・和歌山東に決まった。
和歌山東は初出場。

倉敷工の高田康隆監督は、「レベルの高いところで、結果を出している。挑戦者として、しっかり向かって行く。」と引き締めた。

主将福島は、校内の教室でオンライン抽選会に臨み、32校中24番目の登場で「7」の札を選び、和歌山東の隣へ。
昨秋の和歌山県大会、近畿大会で夏の甲子園覇者・智弁和歌山、同4強の京都国際を破った相手に「勢いがあるが、自分たちの野球を貫き通す。」と抱負を語った。

さらに福島は「最大の準備をして全員で校歌を歌いたい。」と語った。

春夏合わせ甲子園で、岡山勢最多の25勝を誇る古豪が、地元に明るいニュースを届ける。

『福島主将が選手宣誓』
〚感謝の気持ちを伝えたい〛

選抜では、岡山勢5度目の大役が舞い込んだ。
選手宣誓を務める倉敷工の主将福島は、「感謝の気持ちを伝えたい。はきはきと堂々と言えたらいいと思います。」と語った。

第一日に出場する6校の抽選で、「パッと、目に入った。」という「5」の札を選び、見事に当選。
「甲子園という聖地で、なかなかできない経験。しっかり準備してやり切る。」と福島。

新型コロナと戦いながら、野球に打ち込んだ全国の球児を代表し宣誓を行う。

つづく 随時掲載

参考 山陽新聞/毎日新聞/朝日新聞「バーチャル高校野球」
協力 歴代倉工野球部監督・部長/おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 85 栄光の足跡 73

第94回選抜高校野球大会

【大会期間】 2022年3月18日~3月30日
倉敷工野球部の歴史の中で、60年以上も語り継がれる人間ドラマ。 当HPでは、「倉工の3元号」と題して逸話全5話を紹介してきた。 今回から、元の第94回選抜大会の物語の続きに戻すことにする。


『倉敷工聖地で校歌を』『全校生徒で校歌を』『選抜旗授与式』

第94回選抜高校野球大会に、13年ぶりに出場する倉敷工の壮行式が同校体育館で行われ、ナインが聖地での活躍を誓った。
新型コロナ対策もあり、在校生約600人のうち2年生が会場の体育館に集合。1年生は、各教室で動画配信を見守った。
毎日新聞岡山支局長より安藤正道校長に選抜旗が授与され、安藤校長から福島貫太主将に手渡された。
安藤校長は「甲子園で、これまで培ったものを遺憾なく発揮し、皆さんの戦う姿が地域の人達に元気、勇気、感動を届けることになる」と述べた。

拍手の中、壮行会に入場するナイン。


『倉工旋風を』

生徒会副会長の横溝凛子さんが「甲子園で倉工旋風を巻き起こしてください。応援できることを誇りに思います」と激励した後、同校応援団部よりナインにエールを送った。


『郷土岡山から、日本一を』

福島主将は「郷土岡山から日本一を取るために、一日一分一秒を大事に練習に取り組む。甲子園では必ず勝ち、全校生徒で校歌を歌いましょう」と呼びかけ、式開催へのお礼と決意を述べた。


13年ぶり11回目の選抜出場となる倉敷工。組み合わせ抽選会は3月4日にリモートで行われることになっていた。

つづく
随時掲載

参考 山陽新聞/毎日新聞/朝日新聞「バーチャル高校野球」
協力 歴代倉工野球部監督部長/おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語84 栄光の足跡 72(倉工の3元号5最終回)

第94回選抜高校野球大会

【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【倉工の3元号】
甲子園。甲子園。甲子園。
昭和、平成、令和の各時代にドラマを残し地元で、「倉工」と称される伝統校にまたがる逸話の数々を振り返る。
今回が、その最後。次回から、第94回選抜物語の続きとする。

『伝統のDNAを受け継ぐ』
平成15(2003)年、夏の甲子園一回戦。
台風接近の中で行われ、強打の駒大苫小牧を相手に、エース陶山大介が、9安打4四死球と乱れた。
四回裏、0対8でなおも2死一三塁。
さらに、ここで大豪雨に見舞われグランドは、池の様になり、降雨ノーゲームに。翌日の再試合は、倉工が5対2で快勝したが、そこにも、知られる物語がある。
「甲子園は、水はけがいいので、ノーゲームになることは、全く考えていなかった。」と、当時の部長中山隆幸は振り返る。
監督の和泉利典と、二人三脚で育てたチーム。
点を入れなければ、倉敷に帰れないと、ベンチで攻略法を一心不乱に考えていた。
「強まる雨を気にする余裕は、なかった。」と、中山。
そんな時、急に大会役員に呼ばれ、再試合が告げられた。

再試合を終えて、健闘を讃えあう倉敷工と駒大苫小牧の選手。

宿舎に帰ると、【再試合の心構え】【戦略】など、計4時間の異例のミーティングを行った。
「再試合は、相手に失礼のないよう好ゲームにしよう。」と、心を整えたのだった。
それこそが、勝利を手中にしていた対戦相手に、敬意を示す最善の道だと考えた。
勝敗を超えた人間味は、名将小沢馨から後進の指導者らにも、確実に伝わっていた。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 82 栄光の足跡 70 (倉工の3元号 3)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【倉工の3元号】
伝説の夏がある。
倉敷工野球部の歴史の中で、60年以上も語り継がれる、人間ドラマがある。
勝敗を超えて、語り継がれる名勝負。
昭和36年の夏の甲子園。奇跡の大逆転となった、一回戦の倉敷工対報徳学園戦は夏が来る度に話題に上がる。
試合は、両校無得点のまま延長戦に。
十一回表、倉工が一挙6点を取って、勝負ありと思われた。だが、試合は思わぬ展開となった。
倉工は、この年エースの森脇敏正が怪我で登板できず、急遽投手になった、永山勝利を盛り立てて戦ってきた。岡山県大会の直前、練習中に骨折したエースを「甲子園で投げさせたい。」と、チームが一丸となり、大舞台に歩を進めたのだ。
森脇を思いやる選手の気持ちを、誰よりも知っていたのは、当時の監督、小沢馨だった。報徳は、十一回裏意地で、2点を返したが、なお4点差で、2死三塁と追い込まれた。

ここで、小沢が森脇をマウンドに送った。
倉工がリードを奪った後、主将の松本芳男が、拝むように、森脇登板を懇願したのだった。勝利が目前となっての投手交代。
森脇は、7番打者にカウント2-2と追い込み、外角低めに会心の直球を決めた。
見逃し三振で試合終了。と思われたが判定は、ボール。後に、立教大―巨人へと進む、捕手の槌田誠が、後年仲間たちに「あれは、ストライク。」と、何回も何回もつぶやいた運命の一球だった。
結局、試合の流れは報徳に傾く。
森脇は安定せず、三塁守備に就いていた永山を、再びマウンドに戻した。しかし、緊張の糸は戻らず、ミスも出て、4点を返され、6対6の同点に。そして、十二回裏、1点を奪われサヨナラ負けを喫した。
試合後、「采配のミスだ。」と、詫びる小沢に、選手たちは「森脇を、投げさせてくれ、ありがとうございました。」と、頭を下げた。選手に詫びる監督。
監督に感謝する選手。
勝敗を超越した物語は、倉工永遠の財産に違いない。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 81 栄光の足跡 69(倉工の3元号 2)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【倉工の3元号】
昭和、平成、令和の各時代に、ドラマを残し地元で「倉工」と称される伝統校の新たな物語に胸を膨らませるファンは多い。
3元号にまたがる逸話の数々を振り返る。
そして、伝統を受け継ぐ選手、監督、スタッフに伝えたい。
『昭和の名将小沢馨』
ところで、昭和の倉工を語るには名将の小沢馨を避けては通れない。
同校野球部で投手として活躍し、昭和24(1949)年の夏の甲子園で初出場した倉工を4強に導いた小沢。
阪神、ノンプロ(日鉄二瀬)を経て、昭和27(1952)年に、20歳で倉工の監督に。
(当時の)倉敷市長の要請を受け、夜間学校「倉敷市工」の事務職員となり、監督を任されたという。
監督として、春夏合わせて計14回甲子園に出場し、ベスト4に計3回進出した。
『小沢の心遣いさわやかイレブンに』
小沢の心遣いを伝えるエピソードが、昭和49(1974)年の第46回大会に残る。
8強入りして迎えた準々決勝。相手は部員11人で出場し、「さわやかイレブン」といわれた、池田だった。
倉工は、下馬評で有利とされたが延長12回の熱戦の末、1対2で敗れた。
後日にわかった事ではあるが、試合前日池田の練習場に、数人の、倉工野球部員の姿があった。「11人では、十分に練習できん。」と、小沢が手伝いのため部員を差し向けていたのだった。
小沢の人情家としての一面が今につながる、強打とおおらかなチームカラーの礎となったと言えよう。
数々のドラマは、正に街の歩みと共にあったのではなかろうか。それゆえ、倉工の試合は、「今も、地元の人々の心の中に、あの伝統のユニホームと共に鮮明に生きているのだ。」

倉敷工監督時代の小沢馨。岡山東商を率いた向井正剛とともに一時代を築いた。

喜ぶ、倉敷工ナイン。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 80 栄光の足跡 68 (倉工の3元号 1)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日
【倉工の3元号】
13年ぶりに、選抜に出場する倉敷工。
昭和32年(1957)の初出場を皮切りに、今回が11回目の選抜出場で、令和になって初めての甲子園。昭和、平成、令和の各時代にドラマを残し、地元で「倉工」と称される伝統校の新たな物語に胸を膨らませるファンは多い。
3元号にまたがる逸話の数々を振り返る。
『打撃強打猛打の倉工』
今年のチームは、「攻めて攻めて攻めたぎる」がテーマ。
ならば、「打撃の倉工」を象徴する二つの試合を、伝統を受け継ぐ選手たちに伝えたい。

『昭和50年、第47回大会』
開会式直後の、中京との開幕試合。
名門中京を相手に四回までに13点を奪い、一時は、11点差をつけて楽勝ムード。
だが、後に近鉄に進む投手の兼光保明は風邪をこじらせての登板だった。
「地に足がついていなくて、頭もボーとしていました。」と兼光は当時を振り返る。
防御率0点台のエースが、四回、五回に計9失点。八回裏には同点にされたが九回に、1点を取って、16対15で逃げ切った。救援を受け、ライトを守った兼光は、意識がもうろうとし、「スコアーボードを見ると、どちらも大量点を取っているんですね。勝っているのかどうかも計算できなかった。」という。
「みんなが、僕の不調をカバーしてくれました。」と懐かしく昔話をしてくれた。

『平成21年、第81回大会』
これも、開会式直後の開幕試合。
金光大阪を相手に、壮絶な打撃戦。
九回裏に3点差を追いつき、さらに1点リードされた延長十二回裏に2点を取って11対10のサヨナラ勝ちを収めた。
「試合を絶対に諦めるな。」と鼓舞した倉工ベンチの声は、今も生き続けている。

金光大阪戦。十二回裏にサヨナラ打適時打を放ち、喜ぶ日下太希。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 79 栄光の足跡 67 (春切符 3)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【春切符3】
『選抜へ始動』
『部活動の制限』
『オンラインで練習共有』
倉敷工は、出場決定後初の練習を行った。
新型コロナで、県立学校の部活動が制限される中、ナインはオンラインを活用。
「合同トレーニング」などで、汗を流し13年ぶりの選抜へ始動した。
1、2年生計60人の部員は、朝から走り込みやキャッチボールで、それぞれ体を動かした後夕方から、ビデオ会議システムを使った練習に参加。画面越しに、高田康隆監督が見守った。
股関節のストレッチや、体幹強化に取り組んだ。
約1時間半の練習の最後は、素振りで締めくくった。
主将の福島貫太は、「中国地区代表のプライドを持ち、自分に厳しく、高いレベルの努力をして行こう。」と仲間に呼び掛けたのだった。
コロナ対策として、県立学校では、おおむね1か月以内に公式大会が予定されている部活動以外は、活動が中止されており、(この時点では)倉敷工の練習再開の見通しは、立っていなかった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 78 栄光の足跡 66 (春切符 2)

第94回選抜高校野球大会
【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【春切符2】
『13年ぶりの春』
待望の瞬間が、ついに訪れた。1月28日夕方。
13年ぶりの選抜出場の知らせが届いた倉敷工では、ナインが帽子を高々と投げ、喜びを表した。
1941年創部の古豪倉敷工。春夏合わせて甲子園で、岡山県勢最多の25勝を誇る。
「歴代の先輩全員の思いを背負って戦い『攻めて攻めて攻めたぎる』プレーを甲子園でも貫く。」主将の福島貫太は、引き締まった表情で、抱負を語った。
『攻めて攻めて攻めたぎる』
新チーム移行後、バットを握る時間は格段に増えた。福島や日向ら中学時代に硬式のクラブチームなどで、中軸を担った打者が揃う現2年生。打撃メインの練習にかじを切ったのは当然だろう。
「入学時から、振る力は光っていた。」と高田康隆監督は、認める最大の武器を磨いた。
マシンを相手に、重い木製バットで速球を打つ早朝の自主練。放課後は、軽くて細いノックバットを振って、早いスイングを体に沁み込ませ竹製バットでサンドバックを叩く事で、ボールを押し込む感覚を養った。中軸の若林晴斗は、「持ち味のパンチ力や長打力が、ワンランクアップした。」と実感。
「攻めて攻めて攻めたぎる」
チームカラーのスローガンが生まれたきっかけは、昨年夏の敗戦にあると思える。
Aシードで臨んだ岡山大会で、春と前年秋の県大会で勝利した城東に不覚を取った。受け身に回り、足をすくわれる典型的なパターンだった。走塁にしろ攻撃にしろ、消極的なプレーが目立ち、なりふり構わず向かって来る相手に屈した。
先輩の無念を胸に秘め、新チームは始動した。

13年ぶりの選抜が決まり喜びを爆発させる、倉敷工ナイン。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会

熱闘甲子園 今昔物語 77 栄光の足跡 65 (春切符 1)

第94回選抜高校野球大会

【大会期間】
2022年3月18日~3月30日

【春切符1】
「春は、来る。」と信じ、努力を重ねた日々が報われた。昨秋の中国大会は4強で落選の可能性もあっただけに、倉敷工ナインの喜びはひとしお。13年ぶりの選抜。
主将の福島は、「気持ちを途切れさせずに練習して来て良かった。歴代の先輩の思いも背負って戦う。」と力強く宣言した。
『2009年春以来』
聖地を踏むのは、2009年の春以来。
金光大阪との打ち合いを11対10の延長逆転サヨナラで制した。この年の開幕試合は、今でも語り草である。この時はOBの中山隆幸監督だった。
主砲日向は、「全国の選手たちと渡り合えるよう、自分たちの強みの打撃に磨きを掛けて行く。」と。
春夏合わせて20回目となる節目の晴れ舞台で大暴れしたい倉敷工。
『倉敷工13年ぶり春』
『攻めたぎる野球をやる』
校長室では、午後3時から栗田武治副校長が、出場校発表のインターネットでのライブ中継を見守った。
約40分後、大会本部から出場決定を知らせる電話が。「ありがたく、お受けします。」
その後、選手たちが待つグランドへ移動。
「コロナの中で活動が制限される中、精一杯頑張った結果。甲子園で活躍される事を期待します。」と激励した。
主将の福島は、「最後まで選ばれるのかわからんかったが、選ばれてうれしい。
甲子園は先輩たちが目指してきた場所。
出場できるという好機を生かして攻めたぎる野球をしたい。」と力を込めた。
『号外を読み実感沸く』
選抜出場決定を報じる毎日新聞の号外500部が届けられた。
マネージャーの加藤優は、「号外を見て『決まったんだ』と改めて実感が沸いた。」
と喜んでいた。

 

出場決定を報じる号外を見て喜ぶ、女子マネージャー。

出場決定を、帽子を投げ喜ぶ倉敷工ナイン。

喜ぶ、倉敷工ナイン。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
毎日新聞
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会