熱闘甲子園 今昔物語 14 栄光の足跡2

第31回全国高校野球選手権大会(昭和24年初出場)

倉敷工7―6小倉北(準々決勝)
小倉北 020 102 001 0 6
倉敷工 010 102 110 1 7(延長10回)
倉敷工投手小沢
本塁打藤沢2

倉敷工2―5岐阜(準決勝再試合)
岐 阜 130 100 000 5
倉敷工 002 000 000 2
倉敷工投手小沢
本塁打

【概要】
今大会からボールの改良やラッキーゾーンの新設などによって、活発な打撃戦が繰り広げられた。優勝は、大方の予想を覆し、創部4年めで、初出場の湘南。大優勝旗が21年ぶりに東日本のチームに渡った。

三連覇を目指す小倉北。洗練された野球をするチーム。
知名度は、雲泥の差。スタンドを埋めたファンも倉敷工の勝利よりも善戦を期待していた。息詰まるシーソーゲーム。倉敷工の守備の乱れに乗じて、重盗、スクイズと多彩な攻めで先手先手と攻める小倉北に対して、二回と六回の藤沢の2本塁打をはじめ、長打で追いすがる倉敷工。延長十回一死満塁から横山の遊ゴロの間に決勝点を挙げ熱戦に終止符を打った。「終わってみたら勝っていた。相手に悪い事をしたと思った。」と小沢。
薄暗い通路で、肩を震わせ泣きじゃくる小倉北の福島投手に帽子を脱いで「すまなかった。」と頭を下げたという。

準決勝対岐阜戦
1対3とリードされた四回。1点を返し、さらに無死満塁のところで突然の雨。翌日、再試合となった。
再試合では、強振を続ける打線は空回りし、頼みのエース小沢は、連投の疲れで肘が上がらない。2対5で敗れた。
敗戦を決めた無情の雨。「あの雨さえ無かったら。」
「今でも、雨の日には思い出す。」と小沢は言う。
なお、小沢は4試合で、ドロップを武器に27個の三振を奪っている。

小倉北に勝利した倉敷工の健闘を報じた山陽新聞(昭和24年8月18日)

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
当HP。カテゴリーの中、「風雲の軌跡」の三部作を参照して下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、灼熱の記憶は、ありません。

協力
和泉利典(元倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会