熱闘甲子園 今昔物語 15 栄光の足跡 3

第29回選抜高校野球大会(昭和32年選抜初出場)

倉敷工 2―1 市立沼津(1回戦)
市立沼津000 000 001 1
倉敷工 020 000 00X 2
倉敷工投手 渡辺
本塁打

倉敷工 2―0 育英(2回戦)
倉敷工 000 010 010 2
育 英 000 000 000 0
倉敷工投手 小野
本塁打

倉敷工 4―0 高松商(準々決勝)
倉敷工 000 100 300 4
高松商 000 000 000 0
倉敷工投手 渡辺
本塁打

高知商 3―1 倉敷工(準決勝)
高知商 210 000 000 3
倉敷工 100 000 000 1
倉敷工投手 小野-渡辺
本塁打

【概要】
出場20チーム。入場曲は「緑のこだま」
「ひたすらに、フェアプレーで戦った。」昭和24年、甲子園ベスト4進出を決めた直後の倉敷工主将で、エース小沢馨の談話である。

この精神は、以後倉工野球の礎となった。小沢の選手時代の監督は三宅宅三(玉島商―明治大)。その三宅から倉工監督に就任した小沢は20歳だった。それから、監督6年めで、甲子園初出場を成し遂げる。小沢が賞賛に包まれている時、一人の大学生が卒業を控え、郷里の岡山へ帰る準備に追われている大物がいた。その大物の名は、『向井正剛』という。

この年の、主力選手は「室山」。
法政大に進学。東京六大学4度の優勝に貢献。首位打者も獲得した。
阪神タイガースに入団、七番打者として活躍。アキレス腱を切断し引退。フロント入りした。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
当HP。カテゴリーの中、「風雲の軌跡」の三部作を参照して下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、灼熱の記憶は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会