倉敷が泣いた翌日、地元新聞「山陽新聞」に掲載された評について、その全文を紹介する。
チャンスに打てず
惜しい小山の力投
倉敷工 000 000 000 0
静岡商 011 000 00X 2
【評】
倉敷工は、春に続いてまたしても決勝進出を阻まれた。
静岡商得意のバント戦法に苦杯をなめた。静岡商は、二回一死から、松島が左前打。戸塚も中堅左へ安打。俊足の松島は判断よく三進。寺門は2-1後のウエストボール気味の球を、投前に、スクイズ。松島が楽にホームを踏んだ。さらに、三回は先頭の新浦が四球に出たが、青木の投ゴロで二封された。
青木は、すかさず二盗。ここで、佐藤は1-2から、倉敷工の深い守備の裏をかいてドラックバント。これが、内野安打となって、一三塁。藤波は1-1から外角高めのウエストされた球を飛び上がってスクイズを成功させた。倉工バッテリーはスクイズに来ると読んで外したのだが、藤浪の執念にしてやられた。ここらあたりに、高校野球でのバントの重要性をまざまざと見せつかれた。肘が痛いという小山だったが連投の疲れも見せず、球は良く走り、カーブの切れもよかった。
それだけに、わずかなスキを突いた静岡商のソツのない攻めは、光った。その追加点は、連日炎天下で力投を続け気力だけで、投げている新浦にとって、大きな支えになった事だろう。新浦は、長身から快速球を投げ込んで当たっている倉工打線と、真向から勝負して完封した。
倉敷工もさすがに優勝候補。敗れたとはいえ、持てる力を出して戦った。終盤得点こそ結びつかなかったが、その粘りは、たいしたものだった。惜しまれるのは七回。この回小山の四球、中村の右翼線二塁打で、無死二三塁と詰めよった。ところが、ここで思いもよらぬ不運があった。
富永の打球は、一二塁間を抜いたかかと思われたが、二塁手に、横っ飛びに好捕されて、一塁で刺された。しかも、三塁走者の小山は、いったんホームに、突っ込みかけたがコーチャーの静止にあって三塁に戻った。その間、中村はすでに、三塁へ。小山は、追い出されるような格好で三本間に挟殺された。まずい走塁ではあったが、ここは二塁手の好プレーを讃えるべきだろう。結局、倉敷工は勝機に一発が出ず、惜敗したが速球投手新浦に対してバットを短く持ったミート打法。そして、小柄な小山投手の、力投などが、強く印象に残った。
(昭和43年8月21日付。山陽新聞より)
【おわりに】
3年生の春、強打の銚子商を、完封した試合を自らベストピッチと語る、黄金の左腕小山稔。
しかし、そのベストピッチより、痛みと苦しみの中、歯を喰いしばって投げ続けた、高校最後の夏の姿こそコンビナートよりも、美観地区よりも、全国に誇る(黄金の左腕)の名に、相応しかったのかもしれない。
「岡山県代表、倉敷工業高等学校ピッチャーは小山くん小山くん」
小山と倉敷の熱い夏は終わった。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会