熱闘甲子園 今昔物語 50 栄光の足跡 38

第85回全国高校野球選手権大会(平成15年夏)

【概要】
2003年8月7日~8月23日出場49チーム
優勝 常総学院、準優勝 東北
大会9日目。
義足の三塁手として、注目を集めた今治西、曽我健太選手。
今大会№1右腕の選抜優勝投手、広陵、西村健太郎投手
(のちに巨人入り)が、甲子園を去った。

【はじめに4】
左足に義足をつけた今治西の曽我選手は、2回戦で甲子園を去った。涙で濡れた甲子園の土をかき集めた。「ここまで来ていなかったら、何もなかったと思います。」
夢舞台での想い出を、土と一緒にしまい込んだ。
四回の第二打席で、今大会初安打を記録し、続く第三打席では内野ゴロの間に打点もマーク。しかし、2試合で、計6打数、1安打、2三振、1死球、1犠打、1打点に、「もっと打ちたかった。」と唇を噛んだ。今後については「進学して野球を続けたい。」と語った曽我選手。
ハンディーを克服した姿は、全国の高校野球ファンに感動を与えたはずだ。

倉敷工 000 301 000 4
今治西 001 101 000 3(2回戦)
倉敷工投手 陶山
本塁打

倉敷工が、逆転で2回戦突破を果たした。
陶山は、苦しみながら、得意のスライダーをコーナーに決め、三、四、六回のピンチをいずれも1点で乗り切った。
粘りの投球で144球の完投勝利。
倉敷工は、1点を追う四回。一死一二塁から、須田が中前打。
中堅手が打球をはじく間に同点とし、さらに中堅からの三塁送球がそれる間に逆転。清水も中前適時打しリードを広げた。
今治西は、三回二死三塁から、黒川の内野安打で先制。
その後は、小刻みに反撃したが及ばなかった。守りの乱れで、失点した事が悔やまれる。

『苫小牧の分まで』執念の倉敷工
駒大苫小牧戦は、四回までに8点リードされたが降雨のため、ノーゲームに。前日の仕切り直しで、5対2で勝利。
試合後、主将の須田は、駒大の土島主将と握手して別れたが、心に何か引っかかっていた。周囲の目が、気になった。
誰にとがめられたわけでもないのに、悪者になったような感じだった。チーム全体に複雑な気分が広がった。
状況を変えるには、勝つしかない。「駒大苫小牧の分まで勝ち抜こう。」一人ひとりが、そう思った倉敷工だった。
勝利への執念を、かつてないほど燃やして挑んだ2回戦は今治西戦だった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会