熱闘甲子園 今昔物語 65 栄光の足跡 53(二人のOB 2 最終回)

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【OB紹介2】
『岡本良一』
倉敷市下津井出身
倉敷工-明治大学―川崎重工
倉敷工、明治大学、川崎重工神戸とプレーヤーとしてもアマチュア球界のトップを張った男。
社会人野球、川崎重工神戸時代「1977年社会人野球ベスト9」に輝く。三塁手。
『野球への恩返しを』
昭和43年、倉敷工2年生で、春夏の甲子園共にベスト4。
黄金時代を築く。明治大学へ進学。「なんとかせい」の故島岡吉郎監督の指導を受けながら、三塁手として活躍。
30歳の現役引退後に、「野球への恩返しをせい。」と周囲に勧められて審判の道を歩む。
社業でも大いに手腕を発揮。関西支社長などの要職を経ている。
選手として、会社員として、そして審判として、歴戦をくぐり抜けた男。岡本良一は言う。
「やっぱり、自分が球審をした中では、松坂が一番やないかと思いますね。」
『横浜対PL学園の球審』
例えば、1998年夏の第80回記念大会で、松坂大輔を擁する横浜とPL学園の準々決勝(延長17回)の球審を務め、岡本良一球審は、その試合において松坂から一発でボークを取っている事でも有名。その横浜が、今度は「松坂大輔のノーヒットノーラン」で知られる京都成章との決勝でも球審を務め、甲子園決勝の球審5試合など幾多の各場面に立ち会っている。
あの夏、松坂大輔のまばゆい夏。
延長17回の準々決勝に臨んで、隠れた主役の一人でもあるはずの球審に、大観衆や大声援、あるいは空の色や雲の形の記憶はない。名審判岡本良一。
岡本良一は、兵庫県高野連の審判部長として後進の育成に力を注ぐ。
兵庫県高校野球抽選会の前、5月に71歳で死去。
2023年6月15日。前審判部長、岡本良一さんの冥福を祈り、出席者全員が黙とう。また、高校野球発展のために功績のあった、大きな賞が贈られた。
忘れまじ野球の鬼
名審判 倉工OB岡本良一
お願い「栄光の足跡51号」を、参照して下さい。

1998年 第80回記念大会準々決勝 横浜対PL学園 右端が、球審の岡本良一さん

【参考】
1998年第80回記念大会準々決勝
横  浜 000 220 010 010 000 12 9
PL学園 030 100 100 010 000 10 7
投手
横浜 松坂
PL学園 稲田―上重

横浜は、延長17回、途中出場の常盤が右中間に2点本塁打を放ち勝ち越し、熱戦に終止符を打った。
横浜エース松坂も序盤に速球を狙われて失点したが、最後まで渾身の力投で完投した。PL学園の粘りも見事。延長に入っても二度追いついた。松坂から13安打した打線も素晴らしかった。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会