熱闘甲子園 今昔物語 64 栄光の足跡 52 (二人のOB1)

第81回選抜高校野球大会

【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦  中京大中京6―5倉敷工

【OB紹介1】
『岸本千秋』
倉敷工―早稲田大学―朝日新聞社
昭和33年、倉工入学。昭和33年34年の選抜大会出場。
昭和34年、第41回夏の甲子園では、2回戦進出。
同、10月第14回国民体育大会出場第3位。内野手。
倉工卒業と同時に、早稲田大学へ進学。(勉強で入学)
昭和37年10月。第17回国民体育大会(高校野球の部)が、地元岡山で開催された時の事。会場は、倉敷市営球場。
この時、倉敷工監督として出場した。小沢監督が、監督を指名したのである。当時の小沢監督はプロ出身者だったため、国体への出場は出来なかったからだ。
その小沢監督の代行として、早稲田大学生の岸本千秋が、監督代行を務めたのだった。
試合は、初戦(山口、宇部鴻城)で敗れたのだが、会場の倉敷市営球場は超満員だった。
この国体決戦は、空前の人気を呼び、観衆はスタンドの外にまで溢れ、地鳴りのような歓声が響き渡ったという。この試合の先発投手は、昭和36年夏、報徳学園戦で活躍した永山勝利だった。
また、この年の甲子園や国体で活躍した選手は、後の岡山球界の指導者を多数輩出した点でも意義深い。
倉敷工投手コーチとして10年ぶりの甲子園を勝ち取った倉敷工。そのエースを育てたコーチこそ永山勝利その人だったのである。
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結を「岸本千秋」は、植え付けたと言えるだろう。(故人)「岸本千秋」は、朝日新聞社編集委員として夏の甲子園を主催。倉敷工が、甲子園出場した際も各方面で援助し続けたのだった。
(くわしくは、前号、栄光の足跡51号を、参照して下さい。)

次号「栄光の足跡53」では、甲子園決勝の主審を5試合も務めた、「岡本良一OB」を、紹介する事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会