熱闘甲子園 今昔物語 63 栄光の足跡 51

第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
開幕試合 倉敷工11―10金光大阪
二回戦 中京大中京6―5倉敷工

【おわりに3】
倉敷工監督和泉利典。同、部長のちに監督中山隆幸。
和泉と中山のコンビは、3度の甲子園出場を果たす。
和泉は、甲子園7試合を戦い4勝。この甲子園4勝は歴代監督単独2位の戦績。耐えに耐え、培った意気と力の勝利だった。中山は、部長として和泉と共に7試合。監督として2試合の合計9試合を、甲子園で戦った。そして、甲子園倉敷工監督1勝を挙げる。

甲子園に、倉敷工が、そしてその2人が来るのを待ちに待っていた超大物OBがいた。『待っとったんじゃ。ワシはうれしい』
『よう、来た。よう来た。』
倉工野球の意気と誇りと苦闘の日々の団結を示した平成8年夏。この時、和泉と中山は、その超大物OBと出会う。

その超大物OBとは、「朝日新聞社編集委員岸本千秋」「審判部副部長岡本良一」

「岸本さんに、甲子園出場を大変喜んで頂きました。」と中山。朝日新聞社として、また大会主催者として甲子園内の各部署や多くの役員を紹介してくださったとのこと。
また、審判部では(当時の)審判部長を通じて「副審判部長岡本良一氏」を。
この時だった。岡本氏は一塁側ベンチ裏で中山を待っていた。
「『よう、来た。よう、来た。ワシは倉工が来るのを待っていたんじゃ。』」と。
「褒めて下さり、感激して下さいました。久しぶりの甲子園出場を、大変喜んで頂きました。」と中山。
「さらに、驚く事があったんです。」と中山は言う。
平成15年夏の甲子園出場の時だった。岸本氏は大会会長に対し、「オイ、君」と、呼んだという。
「大会会長に対してですからね。もう、びっくりしましたね。すごいですわ。」
中山は、次のように言う。
「岸本さんや岡本さんのお陰で、平成8年ベスト16。同年、国民体育大会に出場する事が出来ました。さらに平成15年夏も出場でき、岸本さんや岡本さんには大変お世話になり、お陰様で同年もベスト16まで進出できました。平成21年春の選抜の開幕試合で「倉工11対金光大阪10」の試合を、朝日新聞編集委員として岸本さんが大きくコラムとして記事にしてくれました。」
今でも、感謝の気持ちを持ち続けている中山。

次の「栄光の足跡52号」では、「OB岸本千秋」と「OB岡本良一」を取り上げる事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承ください。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会