第81回選抜高校野球大会
【概要】
2009年3月21日~4月2日(平成21年)
入場曲「キセキ」
開幕試合倉敷工11―10金光大阪
二回戦中京大中京6―5倉敷工
【おわりに2】
倉敷工対金光大阪
『4万3千人。新甲子園いきなり沸く』
2度めのサヨナラ劇に、倉敷工ナインの喜びが爆発した。
同点に追いついた、延長12回二死一三塁。
日下の打球が、右前で弾むと、新装の銀傘に大歓声がこだました。
「僕が決めるしかないと、思っていました。みんなの心が、一つになれたから、ここまで来れた。」
「驚異の粘り腰」
伏線は、九回にあった。3点を勝ち越されたが、山形の右翼線への、2点三塁打で同点。
続く、山本が、投手前に、スクイズ。本塁クロスプレーとなり、白球は、ミットからこぼれたが、球審の判定はアウト。
「球審に、『落としてないですか』と、確認したら、『(タッチした時は)落としてない』と、言われた。」と山形。アピールしたが、認められなかった。
微妙判定に、聖地がざわめき、球場に抗議電話が殺到した。それが、発奮材料になった。
「あれで、負けられない。という気持ちになった。」と主将の頼。
勝利への執着心が最後に、実を結んだ。
倉敷工と言えば、今でも語り草の、「奇跡の大逆転負け」が有名だ。
1961年夏の、報徳学園戦で、延長11回6点を奪いながらその裏、6点を失って同点とされ、延長12回サヨナラ負け。
勝った報徳学園に逆転伝説ができた。
48年の時を経て、今度は主役になった。
1961年8月13日、一回戦
倉敷工 000 000 000 060 6
報徳学園 000 000 000 061 7
両チームで38安打の乱打戦を制した。中山隆幸監督は「また、歴史に残る試合をやった。150%の(力)が出ましたね。」この開幕試合の直前、中山隆幸監督は「緊張感を力に変えろ」と指示していたのだ。
(倉敷工は)リニューアルされた、聖地の開幕戦で、満員となった43000人の心を震わせた。
半世紀前の悪夢に別れを告げたタフネス軍団が、台風の目になる。
(平成21年3月22日付。)
(サンケイスポーツより、引用しました。)
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会