白球100年 岡山の野球 5 「高野連発足」

岡山の球児たちが、グラウンドに帰って来た。
悲惨な戦争による空白を乗り越えて。

昭和21年7月24日、関西中球場。戦後初めての全国中等学校野球大会県予選の開会式が行われた。

食糧難による栄養不足から、痩せた選手が多く、あり合わせの布やテントの切れ端で作った各自ばらばらのユニホームで、スパイクの代わりに地下足袋という華やかさとはほど遠いセレモニーだったという。しかし、選手の顔は大会に参加できる喜びで輝いていたのだった。

〚活気 活気 活気〛
〚待ってました〛

廃墟の中から立ち上がった岡山野球界は、終戦の翌年のこの年、一気に活気を帯びることになる。2月、「全国中等学校野球連盟」が誕生した。

これを受け、岡山でも玉島商の齋藤信三郎校長らが中心となって、「岡山県中等学校野球連盟創立」の準備を始める。玉島商野球部部長だった福井啓一は、「岡山と違って、うちは空襲を受けず、組織的に動きやすかったので、主体的に働きかけをしたが、どの学校も『待ってました』という感じでした」と、当時を思い起こす。

5月18日、玉島商で創立準備会。6月24日、岡山一中(現・朝日高校)で創立総会を開催。県下21校が加盟して現在までの基礎が確立した。初代会長には高畑浅次郎岡山一中校長が就任。直ちに「全国中等学校野球連盟」に加盟する。

〚決勝は、ニ中対市商〛

こうして迎えた県予選(関西中、六高球場)だった。決勝は、岡山二中(現・操山高校)対岡山一商(現・岡山東商)。延長10回表、二中が4点を入れ優勝。OBたちの献身的な世話が大きかったという。

岡山一中 002 010 040 4 11
岡山一商 200 012 020 0 7

岡山二中は、山陽大会決勝で、下関商に敗れ、惜しくも甲子園初出場にはならなかった。

下関商  410 031 001 10
岡山二中 000 010 001 2

また、11月、「第1回京都秋季国民大会の軟式野球大会」で、玉島モタエクラブが準優勝の快挙を達成する。

こうして、23年、関西高校の戦後初の甲子園出場が実現する。

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つづく
随時掲載

参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」

参考
毎日新聞
山陽新聞

協力
岡山県立倉敷工業高等学校
硬式野球部OB会
おいまつ会