第31回全国高等学校野球選手権大会。
1949年8月13日から、8月20日まで甲子園で開催された。
開会式での、入場行進における出場校選手の先導、女子生徒がこの大会から
開始された。主将で、エースの小沢は、次の様に語る。
「 甲子園は、最初から意識をしていたわけではなく、運良く行けたんです。
また、テレビはなく、絵もないし。ただあるのは、ラジオから聞こえて来る歓声だけで。
甲子園は、あの前に立っただけで、【 こんなに大きな建物かと 】びっくりして。
また、球場の中に入って練習の時に
【 こんなに、大きなグランドかと 】また、びっくりして。そして、開会式の時、
【 こんなに、大勢の人かと 】また、びっくりして。それで、試合になった時、
大歓声で第一球はどこに投げたかわからない状況でした。」
その開会式で、他県の選手は、「 倉敷ってどこ? 九州? 東北?」
また、戦前の活躍予想は、出場23校中22位というありさま。
それでも、好投手 小沢 馨 の得意球ドロップ ( 縦のカーブ )は、小気味
良く、捕手 藤沢 新六 のミットに吸い込まれた。打線も、尻上がりに調子を
上げ、 熊谷 ( 埼玉 ) 高津 ( 大阪 )と連破。準々決勝まで進んだ。
倉敷工 9 - 1 熊谷
倉敷工 5 - 3 高津
お願い 本文に迫力を持たせたく、、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考 瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」
OHK 「 旋風よ ふたたび 」
山陽新聞社 「 灼熱の記憶」
協 力 小山 稔氏