風雲の軌跡 涙の甲子園 10

監督 小沢 馨物語

昭和50年。第47回全国選抜高校野球大会。2年連続9回めの出場。

小沢監督は、今までに類のない大型チームを、作り上げる。このチームは

個性派集団で、一度火がついたら、とてつもない実力を発揮するチーム。

倉敷市民は、「 今度こそ、全国制覇を 」と、願ったのだった。

「 とにかく、個性が強い奴ばっかりだったので、チームをまとめるのに苦労

しました。 」こう、語るのは、一年生からレギュラーを獲得し、当時主将

だった、 大倉一秀 。この選抜に出発する前、倉工ナインは、テレビに

出演。司会者が、小沢監督に尋ねた。 「 今回のチームは、いつもと

違う点は、どこですか? 」すると、小沢監督は、「 今年は、センターライン

が、いいんです。センターラインがいいと、野球は強くなるんです。 」

センターラインとは、捕手、投手、セカンド、ショート センターの事。

そして、小沢監督は、次の様に語った。『 一度でいいから、優勝旗に

手をかけてみたいですね。 』この言葉には、マスコミが騒いだ。小沢監督

が 【 優勝 】と言う言葉を使ったからである。 【 優勝 】と言う言葉を

使ったのは、何年ぶりであろうか。昭和43年夏、大エース 小山投手 を

擁した時、以来でなかったか。倉工久しぶりの、大型チーム。エースは

剛腕 兼光保明 。防御率0点代と言う、驚異的な数字を持って

甲子園に、乗り込む 倉工ナイン。

つづく  随時掲載

お願い   本文に迫力を持たせたく、、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考   瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」

OHK     「 旋風よ ふたたび 」

山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力   大倉一秀氏

神土秀樹氏