風雲の軌跡 涙の甲子園 12

監督 小沢 馨物語

昭和50年 第47回全国選抜高校野球大会

倉敷工  005 801 011  16
中京   101 450 310  15

球史に残る打撃戦になった。大会1号を、9番レフトの 野田 が、2号を

7番サード 石原 が、それぞれレフトスタンドに運んだ。終わってみれば

倉敷工15安打、二塁打5本、三塁打1本。対する中京は、14安打

二塁打1本、三塁打2本だった。剛球右腕 エース兼光 は、中京戦に

登板するも、高熱は下がらず、試合の記憶すら、定かでないという。

主将 大倉 は、「 兼光が高熱があるのは、知っていました。 」

守備の名手 神土 は、「 兼光さん、よく打たれるなあ。それにしても

中京は、良く打つなあ、と思っていました。それで、兼光さんが熱があるとは

知りませんでした。 」と。最大11点をリードするが、中京打線にノックアウト

され降板。「 もうやけくそで、兼光をかえました、 」と、小沢監督・

チームは、何とか逃げ切った。小山コーチは、次の様に語る。「 13対2

の時、中京は逆に気軽になったのでは。野球というのは、1点や2点差

となったら、プレッシャーになるもの。 」 試合後、小沢監督は大会関係者

に、『 ぶざまな試合をしてしまい、申し訳ございません。 』と、深く頭を

下げたのだった。この試合、同点にはなったが、逆転されなかったのが大きい。

二回戦は、東海大相模。三番 原 辰徳 四番 津末 英明 を擁する

打線は、全国一。倉敷工 と 東海大相模。この試合が、事実上の決勝戦

と言われたのだった。東海大相模の監督は、「 あの程度の投手なら、うちの

打線なら、楽に6点は取れる。 」と、笑みを浮かべた。

つづく  随時掲載

お願い  本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考  瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」

OHK     「 旋風よふたたび 」

山陽新聞社  「 灼熱の記憶 」

協 力  小山 稔氏

大倉 一秀氏

神土 秀樹氏