全国屈指のエースを、練習中の負傷により、欠きながらも 炎の闘志と団結力 で予選を
勝ち抜いた 昭和36年夏。その36年夏を、呼び起こすような 一丸の勝利 を 倉敷工が
見せたのは、平成8年夏の県大会。球史に残る激戦となった 選抜甲子園ベスト4
岡山城東 との決勝。序盤の失点にも、ベンチはエースを続投させ、そして完投させた。
ナインは、エースを励まし続け、エースは終盤から本領を発揮。10年ぶり8回めの、甲子園
出場を勝ち取る。激闘の延長戦。 倉敷工 が勝利を決定づけたのは、二本連続の
タイムリー。最後の選手を打ち取った瞬間、ナインはマウンドのエースへ走った。
そして、抱き合った。 倉敷工監督 和泉 利典 は、何度も何度も宙を舞った。そして
倉敷工応援スタンドから、「 和泉 和泉 」の、和泉コールが、沸き起こる。 和泉 は
倉敷工応援スタンドに赴き、帽子を取った。そして、スタンドを見上げ、 深々と頭を下げた。
どのくらい頭を、下げたのかはわからない。ベンチが泣いた。ナインも泣いた。そして、応援
スタンドも泣いた。 倉敷工野球の、意気と誇りと苦闘の日々の団結 はしっかりと息
づいていた。当、HPはこの平成8年夏を、振り返ってみる事にする。物語の、始まりは
平成6年にさかのぼる。平成6年4月、頼もしきOBが、母校に凱旋した。
つづく 随時掲載
お願い 本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考 山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 西川 剛正 「 現 倉敷工業高校硬式野球部コーチ 」