捲土重来 平成8年の夏 21

第78回全国高校野球選手権大会 岡山大会
決勝  倉敷工  VS  岡山城東
【 どちらも、2チームとも 甲子園 に出場させてやりたいですね。 】
この言葉は、 元 倉敷工監督 小沢 馨 氏( 故人 )が県大会決勝の解説で、良く好んで使っていた言葉である。「 甲子園の夢の大きさ。 」「 賭けるものの大きさ 」を、知り尽くしているだけあってその言葉には、重みを感じさせる。
小沢氏 は、甲子園でも解説を行った。試合は、延長戦に突入。炎の闘志と団結力で、選抜甲子園4強の、 岡山城東 に挑む 倉敷工。その闘志と団結力は、全国屈指の、エースを欠きながらも、勝ち進んだ 昭和36年夏( 当 HP 昭和36年夏のドラマ を参照して下さい )を、呼び起こす。

倉敷工  100 030 200 00
城 東   011 103 000 00

試合は、 6対6 のまま、延長戦に突入。 倉工エース中原 は、序盤にこそ、失点したが、ここに来て 制球力 球威 が、さらに良くなって来ている。延長戦に入っても エース は本領を発揮しているのだ。 中原 を支える物。それは、3塁側倉工大応援団。スタンドからは、『 中原、中原がんばれよ 中原 』あるいは、『 頼むぞ 中原 』の大声援。倉工大応援団が、 中原 を支える。しかし 真に中原 を支えるものが、もう一つある。真に 中原 を支える物。それは、背中の 倉工エースナンバー 1を付けたユニホームにある。このエースナンバー 1 が、 中原 を支えているのだ。 倉工のエース と言うものは、序盤にどんなに打たれても、最後までマウンドに立ち続けるのが、 真のエース。あるいは、どんなに、 肩 や 腕が痛たかろうとも、投げ続けるのが、 倉工エース の宿命。昭和43年夏。
腕も折れよとばかりに、甲子園97イニングを投げ抜いた 黄金の左腕小山 稔投手( 当 HP 青春ヒーロー を参照して下さい )
また、昭和50年選抜甲子園で、40度の高熱を発し、フラフラになりながらもマウンドを死守した 兼光 保明投手( 当 HP 風雲の奇跡 涙の甲子園 を参照して下さい )そこには、 倉工歴代エース の継投がある。
歴代エースは、 倉工エース の 宿命 を背負い投げ抜き、そして倉工エースの 誇り と 喜び がある。試合は、 延長12回 に入った。
この回の先頭打者は、 2番西川 からだった。

つづく  随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参 考
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」

協 力
小山 稔 氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」