よみがえった全国屈指の名門倉敷工。倉敷工10年ぶり8回目の甲子園出場。全国に、その名をとどろかせた名門が、久々に大舞台に登場した。
その復活までに、どの様な事があったのか、その舞台裏、復活までの道のりを当HPが、探ってみた。
現在、倉敷工業高校野球部コーチ西川剛正は、次の様に語る。
「(監督の)和泉先生と(部長の)中山先生が、一生懸命に、指導して下さったおかげです。県予選の前のミーティングで、『和泉先生は、試合中は、笑顔でいて下さい。』と、言ったのは、実はぼくなんです。和泉先生は、そのとおりを、やってくれました。意見を、取り入れてくれたんですね。あの時、ぼくは、和泉先生の、人間力を感じましたね。それと、OBコーチだった、藤原勝利さん、永山勝利さん。藤原さんと永山さんは、良く僕らの話を聞いてくれましてね。
ぼくらの、気持ちをよく理解して、くれたんだと思います。練習が、しやすくしやすくしてくれた、と思います。それと、主将が、北條だったから、勝てたと思います。」
西川は、走攻守揃い、二番打者、正二塁手として活躍した。
現在、岡山工業高校野球部部長中山隆幸。
平成6年、OB中山隆幸が、凱旋すると同時に、部長に就任した。中山は、技術指導の他に、ウエートトレーニング、イメージトレーニング等を、本格的に導入。
さらには、栄養学も取り入れ、食事にも気を配るようにした。当HPが時々グラウンドに行ってみると、行くごとに、選手の体格が大きくなっていたのは、こうした指導が、あったものと思われる。さらには、選手たちの意識改革も進め。先輩後輩の垣根を、取り払った。甲子園出場実績がない学校の監督を努め【力のない選手を、いかに伸ばすか】に、腐心して来た中山の指導は、大いに刺激になった。中山は甲子園に、3回出場。部長、監督として甲子園で、9試合を戦った。部長として、駒大苫小牧、今治西等と7試合を戦い、特に、鹿児島実業との試合では、野球の厳しさを、学んだという。「あの、スライディングは、厳しいものがありましたね。ルール違反では、ないんですが『塁を取る』という執念を感じました。」また、監督としては、2試合を戦った。金光大阪との試合で、大接戦を制し、強豪中京大中京に対し、5対6と食い下がったのだった。
現在、水島工業高校野球部監督和泉利典、十年間の、無念さを晴らすかの様に、力を蓄え岡山大会を、勝ち上がった倉敷工。
ベンチ裏で、大きな背中が震えていた。7月29日、倉敷マスカット球場。延長12回の死闘の末、岡山城東を下して優勝を決めた倉敷工監督和泉利典。
和泉は、OBコーチらに抱きかかえられ、人目をはばからず泣いた。もがき、苦しみ抜いて掴んだ喜び。その姿は、県内、いや全国屈指の名門が復活までに、たどって来た、苦闘の日々の道のりを、表しているかの様に見えた。
つづく
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お願い
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参考
山陽新聞社「灼熱の記憶」
山陽新聞
協力
小山稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」
西川剛正氏「現倉敷工業高校野球部コーチ」