春風爽快 キセキの春 13

秋の中国地区大会を優勝で飾った倉敷工。
優勝インタビューに答える倉敷工監督中山隆幸。そのインタビューを倉工ナインは、じっと見ていた。
そして、インタビューが終わると同時にナインは中山に駆け寄った。そして、抱き合ったのだった。抱き合う監督と選手。
その様子をある大物OBがじっと見ていた。一段落したところで、そのOBは中山に、近寄った。「お前、すげーのう。ようやった。ワシでもできんかった事ど。ワシの時は、抱き合う事なんか一回もなかったわ。」こう言ったのは、春夏通算甲子園出場十五回、ベスト4三回、ベスト8二回。この人抜きには県高校球界を語れない名監督OB小沢馨だった。(故人)突然の事であり、感激のあまり言葉が出ない中山。「ありがとうございます。が精一杯でした。」と中山。
中山にとって、初めて恩師そして名監督から受ける【ねぎらい】と【お褒め】だった。さらに、名監督の言葉は続いた。「明治神宮大会は、思いっきりやって来いよ。」OB小沢は、確と見た。後輩たちの甲子園を。
監督中山隆幸の、モットーは、「プレーは大胆に。態度は謙虚に」である。
モットーの「プレーは大胆に」であるが、当HPがチームを見て感じた事が二つあった。一つは、鉄壁の内野守備。それは、ダブルプレー。とにかくダブルプレーが多く見られた点である。
もう一つは、内外野の、連携プレー。特に、ライト線への打球に対して、右翼手山形直哉から、二塁手三木太知へ転送して、三塁でアウトにした事が多くあった。この二点について、当HPはOBコーチ神土秀樹に尋ねてみた。「全くその通りです。中山監督とイチかバチの勝負をしようと話しあったんです。練習の時、ベースからベースへの送球を早く回してダブルプレーを取れるようにと。あせると、ミスが出るけど、ダブルプレーを成立させようと指導しました。三木が良かったですね。練習試合から相手ランナーが二塁を蹴った瞬間(アウトを)もらったと思っていましたから。」確かに三木の送球は素早く正確で、常に三塁ベース上だった。現在三木は、社会人野球JFE西日本の主力選手として活躍中である。
打撃についても、打ち損じがボテボテの内野ゴロにならなくファールになっていた。
この件について、OBで総監督和泉利典に尋ねてみた。「そうですね。ストライクは、見逃がすなと。ボールの内側を叩いて、センター中心に打てと。思いっきり良く積極的な打撃をやってくれたと思いますね。そうした打撃を選手が身につけてくれて、成長していくのがわかりました。」
『夢を夢のままで終わらせない』
倉工ナインとその指導者たち。熱く燃えるそのまなざしが、見据える先に道はつづく。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長・監督」