春風爽快 キセキの春 19

「甲子園は、最初からそんなに意識していなくて、たまたま運よく行けたものですから。」
「(当時は)テレビはないし、絵はないし。あるのはラジオから聞こえてくる大歓声だけで。」
「甲子園は、あの前に立っただけで、こんなに大きな建物かと、びっくりして。中に入って練習の時、こんなに大きなグランドなのかと、びっくりして。そして、開会式の時、こんなに大勢の人なのかと、びっくりして。」
「試合になった時あの大歓声で、第一球はどこに投げたのか、わからない状態でした。」 こう話すのは、倉敷工元監督小沢馨氏(故人)。2005年KSB瀬戸内海放送で、放送された、『夢フィールド』という番組で、御出演された小沢氏が、述べたお言葉である。【当、HP。カテゴリーの中、風雲の奇跡初陣倉敷工を参照して下さい。】

甲子園は、何もかも大きい。そして大歓声。勝敗のカギを握るのは、内外野の連携プレー、カバーリング、そして走塁であろう。
甲子園の、広さを体感しようと、倉工ナインは、3月11日、倉敷市鶴の浦にある、社会人野球JFE西日本が練習するJFE健保球場で練習した。(現在JFE健保球場は、ありません。)
倉工第2グランドの、約2倍の広さとあってナインは戸惑い気味だった。練習前、中山隆幸監督は、「練習は、ウソをつかない。」とナインを激励。しかし、守備練習ではエラーが続出した。
辻田浩一副部長は、「ボールの返球や走塁のタイミングが合わず、新しい課題が見つかりました。」と険しい表情。
外野手の山形直哉は「久しぶりの球場練習で走塁の判断がつきにくかった。早く慣れて甲子園では、100%のプレーをしたい。」と意欲を見せた。練習終了後、ナインは主将頼宏樹を中心として、30分いや1時間近くミーティングをしたのだった。
「あの時のミーティングは、頼を中心に長くやっていましたよ。」と中山監督。倉工ナインは、さらに倉敷マスカット球場でも練習試合を行い、広い甲子園に対しての感覚を、磨いたのだった。

行くぞ。34年ぶり10回目のセンバツ。第81回選抜高校野球大会。
待ってろよ。阪神甲子園球場。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」

神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」

和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」

中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」