春風爽快 キセキの春 27

第81回選抜高等学校野球大会。(34年ぶり10回目)

金光大阪 210 120 003 001 10
倉敷工  100 301 013 002 11

中京大中京 230 100 000 6
倉敷工   010 004 000 5

第81回選抜に出場した倉敷工。「強打の倉工」の活躍は、もう遠い記憶になっていた。後に、監督となる小沢投手を擁して初出場した昭和24年の夏の甲子園でベスト4に進出。
(当、HP。カテゴリーの中風雲の奇跡初陣倉敷工を参照して下さい。)
その後、倉工全盛時代が続き、春夏合わせベスト4進出3回。
今回の選抜で、19回目の甲子園出場である。
倉工は、地元の倉敷マスカット球場で開催された秋季中国大会を、37年ぶりに制覇し34年ぶりの選抜出場を決めたが、その中国大会には、県大会4位出場資格ギリギリで出場。
2回戦で、県大会覇者の作陽を大差で破って勢いに乗り、準決勝で鳥取城北、決勝で南陽工をそれぞれ下し、見事優勝を飾った。倉工は、粘り強さが身上の実戦的攻撃のチーム。県大会から中国大会にかけ、試合ごとに進化を続けたフレッシュなチーム。倉工監督一年目の中山隆幸監督は、一試合一試合を「どんな事があっても諦めるな。」「死ぬ気でやり切れ。」という精神面で、負けない元気野球を目指し頂点に立った。県大会4位のチームが、中国大会で優勝した記録はない。私、当HPはこのチームの練習をよく見に行ったものである。指揮官は、普通のノックはやらない。常にランナーとアウトカウントを置き、ギリギリでアウトを取れるかどうかのタイミングで放たれる。プレッシャーの中での集中力が狙いであろう。
打撃では、「高め」と「外角」が中心。指揮官は「思いっきり振り切れ」高めでも、ゴロを打つ技術の習得を目指していた。
「強打」と「多彩な攻撃力」が、倉工の身上である。
当HPでは、この第81回選抜高校野球大会出場の倉工チームにあった、出来事をさらに振り返ってみる事にする。

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」