大願成就 己に勝つ野球 19

「とにかく、睡眠時間が、3、4時間ぐらいしかなかったんです。」
倉敷工野球部中山隆幸部長のコメントである。そこで、いったいどの様なことがあるのかを、尋ねてみた。「決勝当日に、(甲子園の)ベンチ入り選手を決めて、高野連に報告しないといけないんです。それから、選手の中は、ユニホームがほころびているのもいて。テレビに映りますからね。当日中に、メーカーに新調のお願いもします。とにかく、開会式まで、日数がありませんから。」

第85回全国高校野球選手権大会出場を、勝ち取った倉敷工。
7年ぶり9回目の出場。その岡山大会決勝は、7月29日。
甲子園の、開会式は、8月7日。

中山部長によるとNHK、山陽放送、瀬戸内海放送等のテレビ関係や、朝日新聞社、山陽新聞社などのマスコミ関係に挨拶に行く。
高野連から20ページぐらいに及ぶ冊子が届くので、全てに目を通す。それら全てを把握しておかなければならない。
さらに、何枚もの記入する書類があり、不備のないようにする。
大会に出場する全チームによる部長会議があり、書類の不備があると、その席で高野連から指摘を受けるという。さらに、高野連、マスコミからのチームへの連絡調整は、全て部長を通す事になっているとのこと。そして、岡山県庁、倉敷市役所に行き知事、市長に表敬訪問を行う。「知事や市長は、時間が限られた中での表敬訪問なので時間設定など大変なんです。」と中山部長。「それから、お世話になるホテルや練習会場を提供してくださる企業などにご挨拶にまわるなど部長としての役目がとても重要でたいへんなんです。でも、とにかく嬉しい悲鳴です。笑。」こうして、第85回大会の、開会式を迎えたのである。

なお、中山隆幸部長は、部長を退いたあと母校倉敷工監督に就任。監督2年目にして、第81回選抜大会出場に導いた。
【当HP。カテゴリーの中。春風爽快、キセキの春。及び日本高野連表彰あきらめない野球を参照して下さい。】

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)

協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」