ヒーロー赤沢亮平
大きな声で、勝利に貢献する倉敷工三塁コーチャー。
和泉利典監督から、甲子園でのベンチ入り選手が発表されるのと同時に背番号が配られた時の事だった。指揮官から「赤沢亮平」と呼び出された。すると、誰よりも大きな声で「はあい」と大声を上げ背番号14を受け取った。その大声が、仲間にも笑顔を与えた。
赤沢は、中学生の時「倉敷ビガース」のエースとしてチームを中四国大会優勝に2度導くなど大活躍。それだけに、ナインの心理状態や苦悩が、よくわかる選手。レギュラーの座は逃がしたが「チームの役に立ちたい」と側面からの支援に全力を注ぐ。
対駒大苫小牧戦。六回裏、無死一二塁のピンチ。顔をこわばせてマウンドに集まる内野陣のもとへベンチを飛び出し全力疾走で駆け寄った。
開口一番「いや~。昨日、彼女に振られちゃったよ。」一瞬の沈黙の後、内野陣に笑顔が戻った。「こんなピンチはどうってことない。何て事ない。何点取られてもいいから、野球を楽しもう。」直後、相手打線を2三振と盗塁死に抑え最大の危機を脱した。「野球は9人でやるものではない。」が持論。「力を抜け。」三塁コーチャーボックスから大きな声が途切れる事はない。指揮官からも「一番野球を知っている。」と太鼓判。
二回裏の攻撃で当たりは浅かったが、迷わず二塁走者を先制の本塁へと向かわせた。「センターがボールを弾くような気がした。だめでも次の回は俊足の大森だから。」後に、倉敷工監督に就く事になる中山隆幸部長は「チームを一つに、まとめてくれる。」と全幅の信頼を置く。仲間は「亮平は、10人目のレギュラー」と言う。
赤沢は、三塁を蹴って本塁に帰れるタイミングを研究。練習試合で外野手の肩の力と走者の走力を見て、回せるタイミングを探した。それには打球と走者が、一つの視野に入れる位置取りが大事であろう。
こうした赤沢を、大会のダイジェスト番組「熱闘甲子園」のキャスターを務める長嶋三奈氏が取材に来た。長嶋氏の父は長嶋茂雄元巨人監督。その取材の模様と試合で三塁コーチャーの中から、大声と右手をグルグル回すコーチャーぶりが「熱闘甲子園」の中で放送されたのである。
次の相手は今治西。「僕の笑顔でリラックスしてくれるのなら本望。これからも、選手のプレーしやすい雰囲気を作りたい。」と赤沢。
三塁コーチャーボックスが自分のポジション。背番号14赤沢亮平、なるべく長く甲子園にいたい。しかし、伝令に行きベンチに帰るとぐっと白球を握りしめ、バットにチラッと目をやる事もあったのはなぜなのだろうか。
【岡山県代表倉敷工業高等学校三塁コーチャーは、赤沢君】
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
山陽新聞
毎日新聞
(当時の、新聞記事を参考にして、一部を引用しています。)
協力
小山 稔氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
神土秀樹氏「元倉敷工業高校野球部コーチ」
和泉利典氏「元倉敷工業高校野球部監督」
中山隆幸氏「前倉敷工業高校野球部部長監督」