熱闘甲子園 今昔物語 18 栄光の足跡 6

第41回全国高校野球選手権大会(昭和34年)

倉敷工 10―3 太田(1回戦)
倉敷工 013 110 202 10
太 田 000 010 000 1
倉敷工投手 杉本→森脇
本塁打 中村

東北 2―0 倉敷工
倉敷工 000 000 000 0
東 北 000 002 00X 2
倉敷工投手 杉本→森脇
本塁打

【概要】
1959年8月8日~8月18日出場29チーム
地方大会を編成替えした。北海道を南北に分け、長野、静岡、広島が単独で代表を送る事になった。また、6チーム増えて29代表となる。初出場は9チーム。
開会式に皇太子殿下(当時)を迎えた。大会後の選抜チームは、ハワイでの親善交流試合の後、初めて米本土でも試合をした。

倉敷工(東中国岡山) 10―1 太田(西中国島根)
倉敷工打線は三振10を喫すが、10安打10打点と打線が爆発。
犠打7個を決め、打っては二塁打、三塁打、本塁打の各1本と打線が繋がった。小沢監督の「緻密な小沢野球」が見える。

東北(東北宮城) 2―0 倉敷工(東中国岡山)
倉敷工打線は、東北2投手に対し3安打に抑えられる。
三振の数も11となる。

この対太田戦、東北戦の2試合において一年生左腕森脇敏正が、甲子園のマウンドに上がった。

(当HP.カテゴリーの中昭和36年のドラマ及び熱闘甲子園今昔物語を参照して下さい。)

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送はありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会