熱闘甲子園 今昔物語 19 栄光の足跡 7

43回全国高校野球選手権大会(昭和36年夏)

報徳学園76倉敷工
倉敷工 000 000 000 060 6
報 徳 000 000 000 061 7(延長12)
倉敷工投手 永山→森脇→永山
本塁打

11回裏。報徳学園は、内藤の内野安打で2者が帰えって1点差になる。 この後、同点に追いつき、12回のサヨナラ劇につなげた。

【概要】

1961811日~820日出場30チーム
地元、大阪の浪商と、準決勝で当たった法政二は、前年の優勝校であり、夏春夏の3連続Vを狙っていた。
しかも、浪商は過去2度とも法政二に屈していた。尾崎投手の浪商か。柴田投手の法政二か。大会屈指の好試合は、延長戦にもつれ込み、浪商が宿願を果たし法政二の野望を砕いた。
(
優勝は、浪商)

―参考―
浪商42法政二(準決勝)
浪 商 000 000 002 02 4
法政二 100 100 000 00 2(延長11)

1回戦の倉敷工―報徳学園。無得点のまま迎えた延長11回表。
倉敷工が、一挙6点。しかし、絶体絶命の報徳が粘り6点を返してしまう。そして、サヨナラ勝ち。奇跡の大逆転劇だった。

倉敷工 左腕エース森脇敏正。
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年夏の甲子園、国体と大舞台を一年生で経験。全国屈指のエース。
「もしかしたら。」小沢監督の夢も膨らんだ。ところが、県予選の直前、バント練習で一塁手で、主将の松本芳男にタッチされた。
森脇が転倒。右鎖骨骨折というアクシデントに見舞われた。エースの突然の負傷。「これで、甲子園もおしまいか。」全選手に重苦しい空気が伝わった。しかし、主将の松本は涙して訴えた。
「森脇を、甲子園に連れて行こう。森脇と甲子園で戦おう。」と。
こうして、炎の闘志と団結力で、ついに甲子園切符をつかむ。
しかし、その裏には大きなドラマがあったのだ。
奇跡的な逆転劇の陰にあった、両チームの温情。「高校野球」というステージだからこそ生まれた、ドラマであったと言える。
『詳しくは、当HP。昭和36年のドラマ及び熱闘甲子園今昔物語を参照して下さい。』

つづく
随時掲載

 お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(
)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(
)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会