熱闘甲子園 今昔物語 24 栄光の足跡 12

【はじめに】
昭和42年選抜、夏。昭和43年選抜と、3季連続甲子園出場を果たした倉敷工。倉工黄金時代を迎える。そして、昭和43年選抜。
しぶとい土倉。バントの名手山口。長打力を誇る武。等々。
さらに、投打の中心小山。小山は、左腕でありながらも、右打席でも、左打席でも打てる五番打者。2年時からの出場メンバーが持ち味に磨きをかけ、チーム力は着実に向上した。

投打に活躍する小山投手(倉工創立50周年記念誌より)

40回選抜高校野球大会(昭和43年選抜)
倉敷工(岡山)30清水商(静岡)2回戦
倉敷工 000 102 000 3
清水商 000 000 000 0
倉敷工投手 小山
本塁打
倉工エース小山が、清水商を完封した。清水商市川投手との投げ合いは、迫力ある投手戦となる。清水商は、残塁7、三塁打1を含む7安打。一方倉工は、残塁5、三塁打2を含む9安打。要所を締め地力に勝る倉工に軍配が上がる。

第40回選抜大会(昭和43年)準決勝へ進む

倉敷工(岡山)40銚子商(千葉)準々決勝
倉敷工 002 020 000 4
銚子商 000 000 000 0
倉敷工投手小山
本塁打
優勝候補筆頭銚子商の前に、倉工エース№1が仁王立ちした。
三振7を奪い4安打完封。エース圧巻の投球。倉工は、銚子商、高野、市原の両投手に対し、二塁打1を含む9安打。
「銚子商戦が、一番のベストピッチです。」とエース。エース小山2試合連続完封勝利。

尾道商(広島)31倉敷工(岡山)準決勝
倉敷工投手小山
本塁打
倉工エース小山が、尾道商から三振7を奪うも、両チーム共に10安打。倉工の残塁は9。チャンスに1本出なかった(打てなかった)のが痛い。

名将小沢監督の采配。昭和43年春夏は準決勝へ進出

【概要】
1968
328日~46日出場30チーム
入場曲「世界は二人のために」
優勝大宮工(埼玉)準優勝尾道商(広島)

【倉工その後】
選抜4強。当然招待試合などに招かれるケースも増える。小山には、これが不運。痛めた左腕を休める間もなく、状態を悪化させて行く。捕手で主将の藤川は「高校生離れした球威を誇った1年生時の小山を思うと、どんどん状態が悪くなっていた。」そして、小山らは最後の夏を迎える。

【お願い】
『当HP。カテゴリーの中「青春ヒーロープレイバック」を参照して下さい。』

つづく
随時掲載

お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。

参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」

山陽新聞「灼熱の記憶」
()現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
()現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。

協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB

岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会