第50回全国高校野球選手権大会(昭和43年夏)
【概要】
1968年8月9日~8月22日
優勝興国(大阪)準優勝静岡商(静岡)
【はじめに】
「親父を早くに亡くしていましてね。お袋が苦労していましたから。その苦労を見て来ましたもんで。それで、お袋を楽にしてやりたい。喜ばしてやりたいと。そのためには、プロ野球に行って活躍する事だと思っていました。」こう語るのは、倉敷工エース小山稔。
しかし、小山の左腕は悲鳴を上げていた。急な投げ込みがたたって小山の左腕は、肘と肩に後々までいえない故障を抱える事になる。
(母に誓ったプロ野球選手。少年の日の夢。)
小山は絶望の中を球場入りする。ところが、ある光景を見た瞬間あれほどまで痛かった肘や肩が、痛みを忘れたという。
小山が見たものとは何だったのか。それは、倉敷から駆け付けた大応援団だった。そして、アルプス席から聞こえてくる大声援。
「小山、小山、頑張れよ、小山。」の、大声援だった。
小山を支えるもの。それは、大応援団。しかし、真に支えるものが、もう一つある。小山を、真に支えるもの。それは、何か。
こうして、迎えた準々決勝だった。
倉敷工6―3広陵(準々決勝)
広 陵 000 000 300 3
倉敷工 111 201 00X 6
倉敷工投手 小山(小山7勝め)
本塁打
準々決勝の相手は、昨年の49回大会夏の甲子園準優勝投手、左腕宇根洋介投手のいる広陵。宇根投手は、一回戦北海を1点に抑え、松商学園、東奥義塾を連続完封。準決勝市和歌山商を1点に抑えての決勝進出。決勝では、習志野に、1対9で敗れての準優勝だった。
第4試合だったため、ナイトゲームとなった。両校、共に凄まじい気力と気迫のぶつかりは、高校野球ファンの心を打つ。
先取点、先手を取ったのは倉工。制球力と鋭いカーブが持ち味の宇根投手(後に、近大―社会人野球NTT中国)から、小気味良く点を取って行く。終わってみれば、二塁打1、三塁打1を含む7安打。一方、広陵は8安打、四死球8、残塁10。
チャンスを確実にものにした、倉工の勝利と言えよう。
センターポールに、校旗が上がる。倉工ナインのユニホームは全員(甲子園の)土、ドロだらけだった。
こうして、倉工は春に続いて、準決勝へと進む・
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承ください。
参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会