第47回選抜高校野球大会(昭和50年選抜)
【概要】
1975年3月28日~4月6日出場29チーム
入場曲「おかあさん」
優勝 高知(高知) 準優勝 東海大相模(神奈川)
【はじめに】
2回戦の相手は、強打の東海大相模。事実上の決勝戦とも言われた。東海大相模には、3番原辰徳(現巨人監督)、4番津末英明(日本ハム-巨人現東京国際大コーチ)らがいた。エース左腕村中秀人(東海大―プリンスホテル 東海大相模、甲府監督)は、快速球に縦に鋭く曲がり落ちるカーブが持ち味。人気絶頂の東海大相模。
小沢監督は、大差の敗北を覚悟でエース兼光を先発させる。
「あの程度の投手なら、5,6点は楽に取れる。」相手ベンチからは、余裕の笑みがーー。もはや、自負を失いかける小沢監督。
しかし、目の先に信じられない光景が展開される。兼光の身体から、得体の知れない何かが満ち溢れている。
「いや、それは幻じゃあない。」次の瞬間、剛球投手である証明が。「バシー」捕手大本のミットに剛球が吸い込まれる。
心身共に衰弱しているはずの、兼光がついにその本領を発揮しているのだ。胸を熱くする、兼光の死力のマウンド。
東海大相模1―0倉敷工(2回戦)
倉敷工 000 000 000 0
東海大相模 000 010 00X 1
倉敷工 兼光、東海大相模 村中。両投手の迫力溢れる大投手戦となった。奪った三振は、お互い6。東海大相模五回の攻撃。
ランナー一人を置いて、左打席に村中。村中の一打は、右中間。
あらかじめ、右中間寄りに守っていた、センター大倉。懸命に背走。だが、打球は大倉のグラブをわずかにかすめた。
(球がグラブの先をこすった)倉敷工のわずかな連携のスキをついて、村中は三塁へ。(記録は二塁打)この1点が決勝点となった。倉工打線は、村中の縦のカーブにてこずった。
心身共に衰弱しているはずの兼光の、死力のマウンド。
そのエネルギーはどこから、来ているのだろうか?
そして、小沢監督の目には、光る物がーー。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」はありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会