第78回全国高校野球選手権大会(平成8年夏)
【概要】
1996年8月8日~8月21日出場49チーム
倉敷工9―0中越(1回戦)
倉敷工5―3東筑(2回戦)
鹿児島実9―2倉敷工(3回戦ベスト16)
【おわりに1】
10年ぶり8回めの、「夏」。春夏合わせて16回めの甲子園出場を誇り、全国に、その名を轟かせた名門が、久々に檜舞台に、伝統のユニホームが、登場した。
10年間の、無念さを晴らすかの様に、力を蓄え、岡山大会を勝ち上がった今年のチーム。その復活までの足取りをたどりたい。
『低迷』
ベンチの隅で、大きな背中が震えていた。7月29日、倉敷マスカット球場。延長12回の死闘の末、岡山城東を下し優勝を決めた、倉敷工監督和泉利典は、OB、コーチらに抱きかかえられ、人目もはばからず泣いた。
もがき、苦しみ抜いて、つかんだ「喜び」。
その姿は、県内屈指の、いや、全国屈指の名門が、復活までに、たどって来た、苦難の道程を表しているように見えた。
昭和50年代に入ると、普通科志向が多くなり、選手が集まりにくくなった。「勝てない」「選手が集まらない」という悪循環。選手気質も変わり、厳しさ一辺倒の指導では、勝てなくなって行った。OB、ファンの期待は、高まるばかりだった。準々決勝あたりまでは、勝ち進むが「あと一歩」で足踏みが続いた。「何が足りないのか。」悩む、和泉に転機が訪れる。
『新体制』
甲子園は、近いようで遠かった。
「華々しい時代を知っているだけに、イライラし通しだった。」
OBで、甲子園出場経験のある、永山勝利は、ファンの声を代弁する。その、永山と同じく、甲子園出場経験のある藤原勝利が、コーチに就いた。さらに、倉敷工時代に、和泉と共に、白球を追った、中山隆幸が部長に。
和泉をサポートする体制が出来上がった。大きな、転機だった。「力のある選手を集め、技術指導で強くする事ばかり考えていた。」と言う和泉に対し、実績のない学校で、監督を務め、「力のない選手を、いかに伸ばすか。」に腐心していた中山の指導は、大いなる刺激となった。
技術指導は、和泉。野球に対する心構えは、OBコーチ。
コンディショニング、メンタル面、さらに、スポーツ栄養学等の指導は、中山。こうして、新体制の「歯車」がガッチリと嚙み始めたのだった。
つづく
随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせるため、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
朝日新聞「バーチャル高校野球」
山陽新聞「灼熱の記憶」
(注)現在、「灼熱の記憶」は、ありません。
瀬戸内海放送「夢フィールド」
(注)現在、「夢フィールド」の放送は、ありません。
協力
和泉利典(元、倉敷工業高校野球部監督)
中山隆幸(元、倉敷工業高校野球部部長監督)
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
岡山県立倉敷工業高等学校おいまつ会