小山 稔物語
甲子園から、宿舎まで徒歩で帰っていた。
その時、小沢監督が3塁コーチャーの角野に歩みよった。
「角野、あの時小山を3塁で止めたのは、なぜなんだ?」 と、語りかけた。
角野は 「ランナーが小山だったからです。」
すると「そうか。わかった。」と、小沢監督。
このシーンについて、角野は次の様に語ってくれた。
静岡商に、2 対 0 でリードされていて、回も終盤 ( 7回 )になった時、小山が出塁したんです。
次の中村の当たりは、ライト線2塁打コースとなって、小山が2塁ベースを踏んで、3塁まで来ますよね。中村は2塁へ行きます。
ところが、ライトがもたついたんです。
それで、小山をホームに突入させるべきか、3塁で止めるべきか。私が、迷いに迷ってしまいましてね。
でも、最終的には小山を3塁で止めたんです。それはなぜかと言うと、ランナーが投手の小山だったからなんです。
これで、無死2、3塁となりました。続く富永の当たりは、一塁手と二塁手のド真ん中の当たりでした。
しかも、低いライナーだったんです。
二塁手がダイビングで打球に飛び込んで行って、しかもショートバウンドで捕って、一塁に投げて富永はアウトになりました。
ところが、中村が三塁まで走って来て、三塁ベースで、小山と鉢合わせになったんです。
それを見た一塁手が三塁に転送して、小山がホームと三塁との間で挟まれてタッチアウトになったんです。
私は、この時ものすごい責任を感じましてね。
あの時2,3塁になった時、3塁コーチャーとして、適切ないいアドバイスをしてやれなかった事で。
あの時、いいアドバイスをしておけば、あんな事にはならなかったと思うんです。
もしかしたら、同点にあるいは、逆転勝ちして、決勝に行けたかもしれないのに。
全ては、私の責任と思っていました。
ところが、徒歩で宿舎に帰っている時に、監督さんが、「角野、なぜ小山を三塁で止めたんだ?」と聞かれ「ランナーが小山だったからです。」と答えたんです。
すると、監督さんは、「そうか、わかった」と言ってくれたんです。私は、あの時監督さんの、「そうか、わかった。」のお言葉に、本当に救われる思いをしました。と、熱く語る角野。小沢監督は、角野に大きな信頼を置いていたのである。
次に、小沢監督は、小山の所に歩みよっていった。
つづく 随時掲載
お願い 本文に迫力を持たせたく、、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい
参 考 瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 角野 充 氏
小山 稔 氏