捲土重来 平成8年の夏 14

頼もしきOBが凱旋して、3度めの夏を迎え、今 野球部部長として チームを引っ張る 中山 隆幸。小沢野球を追求し、ますます老練さ を加えて行く 監督 和泉 利典。この二人を補佐するOBコーチの 藤原 勝利 と 永山 勝利。炎の闘志 と 団結力の 平成8年の 夏。スタッフは、 投 攻 守 三拍子揃った大型チームを作り上げる。 和泉 が目指す 【 小沢野球 】とは、いったいどの様なものだろうか。 岡山東商 など、他の伝統校に比べ、後発ながら 倉敷工 は、短 期間で 甲子園の常連 となった。チームを率いていたのは、昭和24年 夏の甲子園初出場時のエースだった 小沢 馨。『 故人。当HPで 硬式野球部連載を、カテゴリーに分類しました。の中 風雲の奇跡 を参照してください。2018年8月14日 』卒業後、プロ野球 阪神 に も在籍した 指揮官 は、 打撃のチーム を、追い求める一方、 豊富な経験に基ずく 巧みな采配 で知られた。また、左腕 から 快速球 と 何種類もある カーブを操り 甲子園に4季連続出場。 3年時の、昭和43年は 春夏連続で 4強入りし 頂点に迫った 小山 稔。( 同じく、当HPカテゴリーに分類の中 青春ヒーローを 参照して下さい ) コーチとしても支えた 小山 は、「 何十っ手も先を読み 最善の 手 を打つ。プロ野球の監督になっても 成功 する力が あったのでは。 」と語る。こうして迎えた 平成8年夏の、岡山大会。 53校が参加して開催。今、51校が球場を去った。残るは、この年 春の選抜甲子園で、4強入りし 中国地区王者の 岡山城東 と 倉敷工 の2校。 倉工校内 そして 白壁の街 が、慌ただしく なって来た。

つづく  随時掲載

お願い 本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参 考 山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 小山 稔氏 「 元 倉敷工業高校野球部 コーチ 」
    和泉 利典氏 「 元 倉敷工業高校野球部 監督 」
    中山 隆幸氏 「 前 倉敷工業高校野球部 部長 監督 」
    西川 剛正氏 「 現 倉敷工業高校野球部 コーチ 」