昭和36年のドラマ7

1961年夏、第43回大会、大会3日目第3試合。
倉敷工業 対 報徳学園の試合は、両チームともに壮絶な戦いになって行くのである。
それでも、松本は「森脇を、森脇をおねがいします。」と指揮官小沢に必死に懇願するのであった。
すると、指揮官は「では、打って来い。森脇が投げられる状況を、お前が作って来い。」と。
こうして試合は、0 対 0のまま延長戦に突入。ここで、3塁側倉工アルプス席を見てみよう。

学生服を着て、鉢巻きをして両足を大きく横に開き、膝を90度に曲げて、握りこぶしを作り、左右交互に突き出している男子リーダー。女子生徒は、リズムに合わせて手拍子をして応援をしている。

こうして迎えた延長11回表倉工の攻撃。一死から2番中村が四球で出塁する。3番槌田の当たりは平凡なショートゴロ。当然Wプレーのケースだったが、二塁に投げた球がそれて、ライト方面に転がった。
それを見た中村は、一気に三塁に行き、一死一塁三塁。ここで、3安打をしている鎌田が打席に入る。
報徳学園沢井監督は、敬遠を指示し、一死満塁策を取った。ここで、5番松本が打席に入る。
松本は、第一球をフルスイング。その瞬間甲子園がどっと沸いた。打球は低いライナーでレフトの頭上を越えて、外野フェンス直撃の二塁打となり、中村と槌田が生還。倉工2点の先取点を上げる。ここで小沢にとって、今でも脳裏に焼き付いて離れられないシーンが展開されるのである。「二塁打を打った松本が、なんと二塁ベースの上に正座をして、両手を合わせて (監督さ~ん) と呼びかけた松本の姿に私は、心が震えました。」と。このシーンを、外野手の三宅は、ベンチから見ていて、鮮明に覚えていた。
「松本が、こうやって、こうして座って、(ワシが打ったんだから、文句はなかろうが)と言わんばかりのような感じだった。そして頼むから森脇に代えてくれ。と言うような松本の姿でした。」と言う。
その後、ショートゴロをバックホームした球が高くなり、フィリダースチョイスとなり3点目が入る。ここで左打席の白川が、スクイズを決めて4点目。さらに、永山が三遊間タイムリーで5点目。倉工の勢いはさらに続き、Wスチールまで決めて、6点目が入ったのである。この延長11回表、倉工は一挙に6点。日本中の誰もが「倉敷工業の勝ち」と思ったに違いない。森脇は、ベンチの横で岡田とキャッチボールをしている。この試合を、甲子園の魔物が見ていた。

つづく
随時掲載

参 考

瀬戸内海放送 番組「夢 フィールド」
ベースボールマガジン社「高校野球 不滅の高校野球3」
協 力 岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会