延長11回表、倉工は一死満塁から松本の左越え二塁打や、白川のスクイズ等で一挙6点を上げた。日本中の誰もが、「倉敷工業の勝ち」と思ったに違いない。土倉は、「私の方から監督さんに言ってませんが、あと一回でいいんで、森脇を投げさせてほしい。と思っていました。」と。
延長11回裏、報徳沢井監督は、先頭打者の4番奥野に代えて、試合に出た事のない平塚を代打に送った。その平塚は、ボテボテの内野安打で出塁。一死後、6番藤田が死球で一塁二塁。
7番清井は、浅いライト前ヒットだったが、平塚が迷わず本塁に突入。本塁上のクロスプレーは大きくうまく回り込んで、きわどく生還。6 対 1。続く吉村のファーストゴロの間に2点め。
6 対 2。 倉工4点リード。 ランナー3塁。 しかし二死。
小沢は思った。「今まで、頑張って来たのは、全ては森脇のためなんだ。ここで使おう。」と。
こうして、エース森脇がマウンドへ。松本らナインの悲願は達成できたのだった。一方、永山は三塁へ回った。永山は「やれやれ、これで自分の役目は終わった。」と、思ったのだった。
エース森脇、2ストライク1ボールと追い込んだ。そして、渾身のストレートを投げ込んだ。
すると、主審の右手が上がりかけた。上がりかけた。土倉は、「ライトから見ていると、ストライクか、ボールかがわかるので、その一球でベンチに帰りかけていました。」と。ところが、主審の右手が下がった。「ボ ボール」 結局、この一球が、倉工にとって運命の一球になったのだった。
この運命の一球について、永山は「審判は、自信を持って、ジャッジコールをしていると思いますが捕手の槌田は (あの一球は、絶対にストライク) と、何年も何年も言い続けていました。」
森脇は、その7番高橋に四球。8番の貴田に、レフト前にタイムリーで3点め。森脇にとってやっと、投球練習が出来るようにはなっていたが、甲子園でのマウンドは、明らかに酷だったのだ。
ここで、倉工ベンチは、森脇をベンチに帰し、永山に再登板を命じたが、レフト前ヒットで満塁に。
続く、内藤は、センター前ヒットで、二人のランナーが帰り、1点差となった。打順は一巡。
平塚は、センター前へヒット。二塁走者の東は本塁に突入できず、三塁で止まるが、センターからの返球を、捕手の槌田が後逸。それを見た、東が帰って 6 対 6 の同点となった。
報徳の勢いを、倉工は誰も止められない。12回裏、報徳は、藤田がレフトへ2塁打。
清井のサードゴロの間に、三進。ここで、倉工ベンチは、2人の打者に敬遠を指示し満塁策を取った。続く、貴田は、ライトへ。わずかに土倉のグローブをかすめた。 6 対 7 の信じられない試合の結果となった。こうして、倉敷工業 対 報徳学園 の死闘は終止符を打ったのだった。この死闘から、報徳学園は「逆転の報徳」の異名をとるようになる。
やはり、甲子園には魔物が潜んでいるのだろうか。
また、この試合は 「奇跡の大逆転」 として後世に受け継がれる事になって行くのであった。
新聞には、「倉工、継投に誤算」「報徳、ねばり勝つ」「大量の、先取点むなし」「選手に謝る、小沢監督」と出た。宿舎に帰った小沢。ふすまを開けると、思わず息を飲んだ。
つづく 随時掲載
お願い
本文に、迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参考
報徳学園HP 「奇跡の大逆転」
瀬戸内海放送 番組「夢 フィールド」
ベースボールマガジン「高校野球 不滅の名勝負 3」
協力
岡山県立倉敷工業高等学校 硬式野球部OB会