小山 稔物語
最後の夏。痛みをこらえ投げ続ける、エース小山の力投で、倉工は春と同じく四強まで、勝ち進む。準決勝の相手は、同じ左腕の好投手 新浦 寿夫 投手を擁する静岡商。しかし、小山の肩は 広陵戦 後、ぼろぼろに。「 歯ブラシを口まで、持ち上げられませんでした。しかも、顔を洗おうとしても、手が顔まで上げられなくて、顔を手に近づけて行って洗いました。」 小山の肩は、悲鳴を上げているのだ。
宿舎から、甲子園までは徒歩で移動。途中ある高校のグランドで練習する事になった倉工ナイン。小山は、「10メートル先の相手に、ボールが届きませんでした。」 と言う。
母に誓った プロ野球選手。消え行く少年の日の夢。 小山は、絶望の中、球場入りしたのだった。
準決勝は、第2試合だったため待機をしていた。そこへ朝日新聞社の記者がやって来た。
「 小山君、小山君。明日の決勝戦は、 興国 と 倉敷工業 に決まっているようなもんなんで、 興国 の丸山君と握手をしている写真を撮らして下さい。今、撮っておかないと、明日の新聞に間に合わないんです。」そう言われた小山は、「 興国は、まだ試合中だし、うちはまだ試合をやっていないし、そんな事をしたら、監督さんに怒られます。 」そう言うと、記者は、「 小沢監督には、了解をもらっているから、大丈夫です。」
小山は、記者に連れられて、まだ試合途中の 興国エース 丸山 朗 投手と握手を交わした。こうして、迎えた準決勝、対 静岡商戦 だったのである。
絶望の小山は、グランドの中に入り、ある光景を見た瞬間、あれほどまで痛かった肩の痛みを忘れた、と言う。小山が、見た光景とは何か?。それは、倉敷から駆け付けた大応援団だった。そして、アルプス席から聞こえて来る、大声援。「 小山!、小山!頑張れよ!。小山!。 」 大応援団と、大声援が小山の中に飛び込んで来て肩の痛みを忘れたと言う。「 火事場の、馬鹿力です。 」と、小山は言うが、果たして本当にそれだけだったのだろうか?。いや、もう一つある。小山を支えるもの。小山を支え続けて来たものがある。それは、倉工のエースナンバー1のユニホームであったはず。倉工エースの誇り。
決して本調子でなくても、あるいは序盤に打ち込まれても、投げ続けるのが本当のエース。
マウンドを守り続けるのが、倉工エースの宿命なのだ。小山は、倉工エースの宿命を背負っている自覚を、持っていたのではなかろうか。
こうして、準決勝 対静岡商 との試合が始まった。
マウンドの小山のもとから、各ポジションに散るナイン。
つづく 随時掲載
お願い
本文に迫力を持たせたく、敬称は略させて頂きます事をご了承下さい。
参 考
瀬戸内海放送 「 夢 フィールド 」
山陽新聞社 「 灼熱の記憶 」
協 力 小山 稔氏