白球100年 岡山の野球 12 「初陣 倉敷工4強入り 3」

〚倉工野球の礎〛
「ひたすらに、フェアプレーで戦いました」

昭和二十四年、甲子園初出場でベスト4進出を決めた直後の、倉敷工・小沢馨主将の談話である。

この精神は、以後、倉工野球の礎となった。

〚名監督 涙の甲子園〛

母校の監督となり、名将、知将の名を欲しいままにした小沢馨が、監督として最後に甲子園へ出場したのは、昭和五十年春。

剛腕・兼光保明を擁し、優勝候補の呼び声が高かったが、2回戦で東海大相模に0対1で惜敗。この試合、高熱でふらふらになりながらも、歯を食いしばって投げ抜いた兼光の姿に、小沢は感涙しながら、「男の中の男」とたたえた。

希代の名監督が、甲子園で見せた涙。

号泣する小倉北・福島の涙に戸惑った、あの無欲の甲子園初出場から、四半世紀が過ぎていた。

〚指導者を輩出〛

昭和二十四年の大会は、後の岡山球界の指導者を多数輩出した点でも意義深い。

倉敷工、岡山東商の両校でコーチとして平松政次をはじめ、多くの選手を育てた妹尾求は、倉敷工の中軸打者として活躍した。

〚昭和二十四年夏、準々決勝〛

倉敷工    打 安 失

1 遊 林   6 1 1
2 右 渡辺  3 1 0
3 三 妹尾  4 2 0
4 中 横山  5 2 1
5 捕 藤沢  4 3 0
6 投 小沢  4 0 0
7 一 松浦  5 1 1
8 左 鳥越  5 0 0
9 二 池ヶ谷 5 2 0

本塁打 藤沢 2
三塁打 横山、渡辺

【お願い】

当ホームページ内のカテゴリー「風雲の軌跡」を参照してください。

つづく 随時掲載

参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」

参考
毎日新聞
山陽新聞

協力
硬式野球部OB会
おいまつ会

白球100年 岡山の野球 11 「初陣 倉敷工4強入り 2」

昭和24年 夏 準々決勝

小倉北 020 102 001 0 6
倉敷工 010 102 110 1 7
(延長10回)

夢破れてうなだれる小倉北ナイン。

「自分は肘を痛めていて、投げられる状態ではなかったが、打線の力で、もしかしたら優勝も、と思っていた」と、小倉北・福島一雄投手。

〚甲子園の土〛

試合後の挨拶を交わした後、マウンドに戻ってスパイクシューズ袋に土を詰めた福島。

今では当たり前になっている「甲子園の土」を持ち帰る風習も、これが最初だった。

〚すまなかった〛

「キープマイペース」を唱えながら、終始冷静な投球を続けた倉敷工・小沢馨投手。

「終わってみたら勝っていた。あの時、相手に悪いことをしたと思った」

薄暗い通路で、肩を震わせ泣いていた福島に、帽子を脱いで「すまなかった」と頭を下げた小沢だった。

〚3本塁打〛

本大会通算3本塁打を放った倉敷工・藤沢新六捕手。

昭和60年にPL学園・清原に破られるまで大会記録を保持していた藤沢。

県大会でも柵越え本塁打など打ったことのなかった五番打者。

「思いっきり振っただけ。最初のホームランは、審判に言われて気がついたほど」

と【無欲の勝利】を強調する。

〚準決勝 対岐阜戦〛

1対3とリードされた四回。1点を返し、さらに無死満塁のところで突然の雨。

翌日、再試合となった。

宿舎に帰った倉敷工ナインは、風呂の中で、

「これなら勝てる。優勝できるかも」

とはしゃぎ立てた。

【欲が出た】

再試合では、強振を続ける打線は空回り。頼みの小沢は連投の疲れで肘が上がらない。球は走らず、2対5で敗れた。

昭和24年夏 準決勝(再試合)

岐 阜 130 100 000 5
倉敷工 002 000 000 2

敗戦を決めた無情の雨。

「あの雨さえ無かったら。今でも雨の日には思い出す」と、小沢は言う。

【お願い】

本ホームページ内のカテゴリー「風雲の軌跡」を参照してください。

つづく 随時掲載

参考文献
「球譜一世紀」
「灼熱の記憶」

参 考
毎日新聞
山陽新聞

協 力
岡山県立倉敷工業高等学校硬式野球部OB会
おいまつ会